時代を駆け抜けた!ホンダの20世紀・あの名車たちを振り返る

時代を駆け抜けた!ホンダの20世紀・あの名車たちを振り返る
     
   

歴代のホンダ車の中から、時代を駆け抜けた名車をご紹介します。2000年以降は現在も生産・販売されている車種も多く、良くご存じのモデルが多いので、今回は2000年以前、つまり20世紀の名車たちをピックアップしてみました。

世界が認めた技術力「S500/S600/S800」(1963~1970) 

Honda_S500_01

photo by Mytho88(CC BY 2.0)

すでに国際的なレースで優れた成績を挙げていたオートバイメーカーのホンダらしく、凝りに凝ったメカニズムは当時の自動車の常識を覆したものでした。

1964年にS600、1966年にS800と排気量がアップされたが基本構造はほぼ同じです。S500の販売台数は500台ほどでしたが、1970年まで生産されたS800は北米などに輸出され、総生産台数は1万台を越える大ヒットとなり、4輪メーカーとしてのホンダの名を世界に知らしめた一台となりました。

その後発売された「ビート」や現在発売されている「S660」もその流れをくむことは疑問の余地がないでしょう。

量産車メーカーとして世界にはばたいたモデル「N360」(1967~1972) 

HondaN360

photo by 韋駄天狗(CC BY 3.0)

軽トラックとスポーツカーを販売していたホンダが、いよいよ一般の乗用車市場に打って出たのが通称「Nコロ」であるN360です。FFの2BOXというパッケージは名車「ミニ」を参考としたと言われ、現在まで続く軽自動車の定番となっています。

他メーカーに先駆け4ストロークエンジンを採用し、高回転高出力を狙うというスポーツカーの「S」シリーズと同じ手法を乗用車にも使っています。またホンダ初のAT、「ホンダマチック」も採用されています。

当時軽自動車の月間販売記録を「スバル360」からわずか数か月で塗り替える好セールスを記録し、総販売台数は65万台に達しました。

凝り過ぎたモデルの代表格「1300/1300クーペ」(1969~1972) 

Honda-1300

ホンダが小型車市場に初進出した、4ドアセダンと2ドアクーペの2つのボディタイプを持つ車種。FFレイアウトに搭載された1.3Lの空冷エンジンは100馬力にもなり、四輪独立懸架など、独創的な技術が盛り込まれていました。

セダンはマイナーチェンジ以降「77」「99」という名称が使われ、さらに「145」「145クーペ」と変化しています。

日本の自動車メーカーとしての地位を確立した「初代シビック」(1972~1979)

CivicRS

photo by 韋駄天狗(CC BY 3.0)

1972年に発売開始。「カローラ」や「サニー」などのFR4ドアセダンが全盛だった日本のコンパクトカー市場に、FFハッチバックというスタイルで登場し、瞬く間にベストセラーとなったシビック。

排気ガス低減装置であるCVCCの採用などで話題になり海外でも人気を集め、トヨタ・日産に次ぐ日本の自動車メーカーとしての地位を確立しました。

トールタイプハッチの元祖「初代シティ」(1981~1986)

HondaCity

photo by 韋駄天狗(CC BY 3.0)

「トールボーイ」と言われたユニークな形状の3ドアハッチバックのシティは、それまで車高を低くすることがカッコイイとされていた、日本のコンパクトカーに多大な影響を与えました。

また「シティ・ターボ」「シティ・ターボⅡ(ブルドック)」「カブリオレ」と独自の車種展開を行い、50ccバイクの「モトコンボ」をおさめられるなど、若者に絶大な人気を誇りました。また、「ホンダ ホンダ ホンダ ホンダ……♪」 というTVCMでも有名になり、派手な原色のシティが街にあふれたのです。

デートの必須アイテム「2代目プレリュード」(1982~1987)

Honda_Prelude_2.0Si

セールス的には失敗に終わった初代から一転、大型化されて理と楽る多ブルヘッドライトを採用した斬新なデザインになった2代目プレリュード。

女性にもウケが良く、バブル景気前夜という時代も手伝ってトヨタの「ソアラ」と並ぶデートカーとして大人気車種となりました。日本初のABSを装備するなど、メカニズムにも注目を集めました。

目指したのはフェラーリ! 「初代NSX」(1990~2005) 

Hockenheim

photo by NSX-Racer(CC BY 2.5) 

第2期のF-1挑戦を前に、フェラーリやポルシェに匹敵する世界に誇れるスポーツカーを目指して開発され、そのオールアルミボディを生産する為に、専用の工場まで使ってしまいました、V6・3000ccのスーパースポーツカー。

1990年代はバブル景気の真っ最中で、800万円以上したNSXが生産が追い付かないほどの過熱ぶりで、プレミアが付くほどの異常人気となっていました。

約 20年前のS660の原型「ビート」(1991~1996) 

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photo by 韋駄天狗(CC BY 3.0)

世界初のミッドシップフルオープンモノコックボディを採用した軽スポーツカー。

特殊な車種にかかわらず、安価な軽自動車ということで、大ヒット車種となり、現在の「S660」の原型となったモデルでもあります。

ホンダ初のミニバンは妥協の産物? 「初代オデッセイ」(1994~1999)

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当時ホンダの生産ラインでは背の高いミニバンは流せず、アコードをベースにした低全高のミニバンしか作れなかったことが幸いして大ヒット。のちのトヨタが「エスティマ」を投入するなど、低全高ミニバンの先駆けとなったモデル。

スライドドアを持たず、ボディもワイドな3ナンバーサイズであったにもかかわらず、乗用車的な運転姿勢など、背の高いミニバンにない高級感もヒットの要因となったようです。

ハイブリッド時代到来を告げた名車「初代インサイト」(1999~2006)

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photo by dave_7(CC BY 2.0)

セールス的に成功したのは2代目ですが、量産ハイブリッドカーとして鮮烈なデビューした点では初代こそが名車と言えます。

燃費は当時のガソリン車世界最高水準となる35.0km/Lを達成。また、コンパクトな2人乗りのクーペタイルには、リアホイールスカートや、後方視界を確保するロアウインドーなど、のちの2代目インサイトやプリウスといった名だたるハイブリット車のデザインにも大きな影響を与えていきました。

いかがだったでしょうか。どれもホンダを代表するような歴代の名車ばかりでした。

本田宗一郎の創業以来、今年で68周年。今回の記事では登場させることができませんでしたが、2009年をもって製造終了となった伝説のスポーツカー「S2000」の後継車両を2年後の70周年時に発表するといった情報もあります。

世界を舞台に、ますます躍動するホンダのこれからにまだまだ目が離せません。

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