【レビュー】今こそ振り返りたい、「いすゞ」のクルマたち~コンパクトカー編~

     
   
photo by wikipedia

「いすゞ」と聞いて思い浮かべるのは、どんなクルマでしょうか?やはり現在だと、トラックやバスを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

そんないすゞ、かつては乗用車を生産していました。その中には今でも名車と呼ばれるモデルが多くあり、マニアの心をくすぐります。ここでは、そんないすゞの名車の中でもコンパクトなモデルの歴史を振り返っていきます。40代くらいの方には懐かしく、若い方にはかえって新鮮に思えるかもしれません。

その創業はなんと大正時代!

いすゞ自動車は1916(大正5)年に「東京石川島造船所自動車部門」として設立された、日本で最も歴史のある自動車メーカーです。一風変わった社名の由来は、戦前の「商工省標準形式自動車」に伊勢神宮を流れる五十鈴川から名前を採ったこととされていますが、公式な記録はなく詳しいことはわかっていません。

ちなみに同社の前身メーカーが「スミダ」という名前のトラックやバスを出していたことからも、いすゞは川となぜか関わりのあるメーカーと言えます。

記念すべき第一弾「ヒルマンミンクス」

photo by photo by Mytho88(CC 表示-継承 3.0)

そんないすゞが乗用車生産に本格的に参入したのは、戦後になってからでした。その第一弾となったのが、ヒルマンミンクスです。イギリスのルーツと提携し、ヒルマンミンクスMk.VIをノックダウン方式で生産しました。

この後のいすゞのクルマにどこかヨーロピアンなテイストが感じられるのは、このクルマの影響が多いと言えるでしょう。このクルマは2代11年に渡り生産され、いすゞは乗用車づくりのノウハウを蓄積します。

ちなみにミンクスとは「おてんば娘」という意味です。

次代に影響を与えたクルマ「ベレル」

photo by wikipedia

ヒルマンミンクスのノックダウン生産で蓄積した乗用車の技術を活かし生み出されたクルマが、ベレルです。当時乗用車販売のメインであったタクシー業界をターゲットに、6人が快適に乗れるクルマを目指して開発されたのが特徴です。

ライバルとなったトヨタ・クラウンやプリンス・グロリアと同じ車格に位置し、ヒルマンミンクスよりもひと回りボディサイズが拡大されています。ただ製造過程での塗装の発泡やエンジンマウントの不良、メーターやダッシュボードの不具合などの初期トラブルが多く、モデルライフは5年と短命に終わっています。

一方でディーゼルエンジンの採用は大きなトピックで、この先のいすゞの乗用車づくりに影響を与えます。

別名「ベレG」!今でも人気の高い「ベレット」

photo by wikipedia

和製アルファ・ロメオとの呼び声も高く、現在もファンの多いクルマがベレットです。

技術的な特徴が多いクルマで、四輪独立架懸のサスペンションや日本車初のディスクブレーキ、ラック・アンド・ピニオン方式のステアリングなどが採用されていました。これにより優れたハンドリングを実現し、その軽い車重とあいまってモータースポーツでも活躍しました。

また、日本で初めて「GT」と呼ばれるグレードが販売されたのもベレットです。さらにスポーティなグレードとして「GT type R」もありました。これらは「ベレG」と呼ばれ、旧車好きの憧れのクルマの1台となっています。

GMとの提携から生み出されたクルマ「ジェミニ」

photo by Ignis(CC 表示-継承 3.0)

技術的成功を収めたベレットの後継車として1974(昭和49)年に誕生したのが、ジェミニです。初代は、当時いすゞが提携していたアメリカのGMの「グローバルカー構想」にもとづき誕生しました。これにより初代ジェミニにはオペル・カデットやシボレー・シェベット、セハン・ジェミニなど多くの兄弟車が存在します。

スポーツモデル「ZZ/R」はハードなサスペンションがおごられ、硬派な走り屋に人気の高いモデルでした。またディーゼル車は、第二次オイルショックの影響から経済性を重視するユーザーに好まれました。

photo by Tennen-Gas(CC 表示-継承 3.0)

ジェミニと言って最も多くの人が思い浮かべるであろう2代目は、1985年に発売されました。発売当初は、初代と併売されていたため駆動方式から「FFジェミニ」とも呼ばれていました。

この型のジェミニといえば、アクロバティックなテレビCMを思い浮かべる方も多いでしょう。CMを手がけたのは、映画「007」シリーズのカースタントを担当したレミー・ジュリアン・アクションチームでした。

欧州テイストあふれるモデルが生み出されたのもこの代からで、オペルのチューニングメーカーであるイルムシャー社の名を冠した「イルムシャー」や、ロータスによるサスペンションチューンを施した「ハンドリング・バイ・ロータス」などがラインナップされました。

3代目は現在日産のCCOを務める中村史郎氏によってデザインされましたが、販売面では振るわず。4代目からはホンダ・ドマーニをベースとしたOEM車となりました。

いすゞのコンパクトカーの歴史を振り返ってみましたが、いすゞという自動車メーカーは常にチャレンジ精神にあふれ、技術者主導でクルマづくりを進めている会社なのだということが伝わってきます。

また、ノックダウン生産からクルマづくりを始めたという点は、日本の乗用車生産の歴史そのままです。すなわち、いすゞ乗用車の歴史は日本の乗用車の歴史と言っても過言ではありません。

次回はいすゞの上級モデルやスポーツモデル、SUVの歴史を振り返っていきます。

【関連記事】

今こそ振り返りたい、「いすゞ」のクルマたち~セダン・クーペ・SUV・ワゴン編~

50万円から始める「ちょっとエンスーな中古車選び」5選

【1台3万円台〜】唯一買える緊急車両「消防車」の値段まとめ

カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた「マツダの新型ロードスター」その魅力を徹底解説!

評価レビューカテゴリの最新記事