物語はクライマックス! 大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡ってみた

物語はクライマックス! 大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡ってみた
     
   

物語は大坂の陣へと進み、いよいよ最終決戦となる大河ドラマ「真田丸」。最終回も目前に迫っています。今回は、打倒徳川家として活躍する大阪五人衆と、真田幸村を取り囲む主要人物ゆかりの地についてまとめました。それでは、「真田丸」にまつわる人物たちの生きた証を辿っていきましょう!

真田幸村(信繁)

関ヶ原の戦い後、紀州九度山村に幽閉されていた真田幸村。そんな幸村のもとへ豊臣秀頼の使い・明石全登が現れ、徳川家康を討つための参戦を懇願されました。結果、豊臣方の味方として参戦に合意。大坂の陣では、大阪城を守るため「真田丸」という砦を作り、見事に徳川方へ打撃を与え追い詰めました。その大活躍した真田丸があったとされる大阪市・玉造には、真田丸と大阪城をつなぐ地下の抜け穴を作ったとの言い伝えがあります。その抜け穴跡が、三光神社に存在します。

 ◆真田山 三光神社(真田の抜け穴)

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所在地 大阪市天王寺区玉造本町14番90号
アクセス 阪神高速13号東大阪線 森之宮ICまたは法円坂ICより、中央大通り→上町筋→国道308号線を経由し約10分。
詳細  http://www.sankoujinja.com/index.html

真田信之

幸村の兄・真田信之は、信州松代藩初代藩主。関ヶ原の戦いにて幸村とは敵と味方に分かれてしまいましたが、二人の絆は深く残ります。その信之が小田原合戦後に城主となった沼田城。五層の天守閣を建造し、信之から5代にわたる91年間、真田氏が治めていました。その後、沼田城は幕府の命により取り壊され、現在は城の石垣の一部などが残る沼田城跡公園となっています。

◆沼田城跡公園

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photo by 沼田市
所在地 群馬県沼田市西倉内町594
アクセス 関越自動車道 沼田ICより、国道120号線(日本ロマンチック街道)を経由し約10分。
詳細 http://www.numata-kankou.jp/sight/numata_park.html(沼田市観光協会)

豊臣秀吉

真田氏の所領争いにより北条家を滅亡させ、天下統一を果たした豊臣秀吉。真田家は豊臣秀吉に臣従し、幸村は秀吉の人質として仕えていました。秀吉は幸村に対し、人質でありながらも認めており、厚遇を与えるほどの扱いをしていました。世に名声を残した秀吉の没後、秀吉は朝廷より神号を与えられ豊国神社に祀られています。

◆豊国神社

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photo by 663highland(CC 表示 2.5)
所在地 京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町
アクセス 名神高速道路 京都東ICより、国道1号線→府道143号線を経由し約15分。
詳細 https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000182(京都観光Naviオフィシャルサイト)

豊臣秀頼

秀吉と茶々(淀殿)との間の息子・豊臣秀頼。秀吉の死後、まだ6歳という若さで家督を継ぐこととなりました。豊臣家が弱体化していくなか秀頼は、徳川家に対抗するため幽閉されていた幸村を大阪城に迎え入れ、大坂の陣で幸村と共闘します。その秀頼のゆかりの地である玉造稲荷神社は大阪城・三の丸に位置し、豊臣家より鎮守神として重んじられてきました。玉造稲荷神社には、秀頼と茶々を結ぶ胞衣(卵膜・胎盤など)が祀られている胞衣塚大明神や、秀頼が奉納した鳥居などがあります。

◆玉造稲荷神社

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所在地 大阪府大阪市中央区玉造2丁目3番8号
アクセス 阪神高速13号東大阪線 森之宮ICまたは法円坂ICより約5分。
詳細  http://www.inari.or.jp/

後藤基次(後藤又兵衛)

大坂の陣で結集した大阪五人衆の一人、後藤基次。元は黒田家の重臣で、徳川家に反旗を翻した牢人たちの中心人物です。大坂の陣において、幸村の強力な理解者となり共に戦いました。基次の死後、三男・佐太郎により基次の出生地でもある加西市に多聞寺が建立され、基次の菩提寺となりました。本堂には基次の真牌(位牌)が安置されています。

◆曹洞宗祝融山 多聞寺

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所在地 兵庫県加西市尾崎町288
アクセス 中国自動車道 加西ICより、県道24号線→県道716号線を経由し約15分。または山陽自動車道 加古川北ICより、県道43号線を経由して約13分。
詳細  http://kanko-kasai.com/matabei/(かさい観光Navi)

毛利勝永

元豊臣家の重臣であった毛利勝永。大坂の陣で幸村と共に参戦した大阪五人衆の一人です。いよいよ最終決戦となる天王寺の戦いに、幸村たちと共に挑んでいきます。勝永の死後、勝永は大阪城の「淀君殉死者三十二名忠霊塔」にて、聖観世音菩薩と三十二名の殉死者と共に祀られています。

◆大阪城 淀君並殉死者三十二名忠霊塔

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photo by Saigen Jiro(CC0)
所在地 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
アクセス 阪神高速13号東大阪線 森之宮ICより、玉造筋を経由し約10分。または法円坂ICより、上町筋を経由し約10分。
詳細  大阪城天守閣北側・山里曲輪の石垣(山里丸)の上にあります。

長宗我部盛親

土佐の大名であった長宗我部盛親。関ケ原の戦いで没落し、牢人時代には寺子屋の先生として暮らしていました。そこへ豊臣秀頼から参戦依頼の話が舞い込み、大坂の陣で幸村と共に戦うことになり、大阪五人衆として活躍。その盛親の眠る墓があるのが、京都の蓮光寺です。

◆負別山 蓮光寺 長宗我部盛親公の五輪供養塔

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photo by www.zekkeikana.com/
所在地 京都市下京区富小路通六条上本塩竈町534
アクセス 名神高速道路 京都南ICより、国道1号線→久世橋通→国道24号線→府道32号線を経由し約15分。または阪神高速8号京都線 鴨川西ICより、国道24号線→府道32号線を経由し約10分。
詳細  http://www.renkouji.info/

明石全登

大老・宇喜多秀家の重臣で、キリシタン武将であった明石全登。関ヶ原の戦いで宇喜多家が没落し牢人に。その後、豊臣秀頼の命により、九度山村で幽閉されていた幸村を大阪城に誘い出す重要な役割を果たし、大阪五人衆として幸村たちと共に活躍しました。天王寺の戦い後、消息不明とされ、討ち取られた説または落ち延びた説とがあり謎多き明石全登ですが、彼のお墓とされている場所が高知県香美市に存在しています。

◆明石全登の墓

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photo by 高知県香美市観光協会
所在地 高知県香美市香北町府内
アクセス 高知自動車道 南国ICより、国道32号線→県道384号線→県道31号線→国道195号線を経由し約34分。
詳細  http://www.kigenhaeikayo.com/blog/akashitakenori/(高知の香美市の観光BLOG/香美市観光協会)

茶々(淀君)

織田信長の姪かつ豊臣秀吉の側室で、秀吉一番のお気に入りとして愛された茶々。秀吉待望の世継ぎである秀頼を産んでからは、豊臣家の中でも影響力を持つ存在となりました。そんな茶々のゆかりの地である京都・妙教寺。こちらには、秀頼が生まれる前に亡くした息子・鶴松を懐妊した際に築かれた淀古城跡地の証である石碑があります。

◆妙教寺 淀古城の石碑

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photo by Tagao0707(CC 表示-継承 4.0)
所在地 京都府京都市伏見区納所北城堀
アクセス 名神高速道路 京都南ICより、国道1号線→府道13号線を経由し約10分。
詳細  下記、地図を参照。

塙団右衛門

主君から追放された牢人で、豊臣家に加担し大阪城に入った塙団右衛門。過去の汚名返上と自分の名を知らしめるために、「塙団右衛門参上」と記された木札を戦場にばらまいたという逸話を残す個性的なキャラクターです。しかし、大坂夏の陣・樫井の戦いにて散ることに……。塙団右衛門の墓所は、その樫井にあります。紀州藩士の小笠原作右衛門が、塙団右衛門の十七回忌に合わせて建立したとされています。

◆塙団右衛門の墓所(五輪塔)

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photo by  KENPEI(CC 表示-継承 3.0)
所在地 大阪府泉佐野市南中樫井
アクセス 阪和自動車道/関西空港自動車道 上之郷ICより、国道481号線→府道64号線を経由し約15分。
詳細 下記、地図を参照。

おわりに

ここまで大河ドラマ「真田丸」に登場する主要人物にまつわる、ゆかりの地や墓所を紹介してきました。幸村と信之の真田家への想いや、豊臣家の人間模様、そして大阪五人衆の「戦」にかける想いやそれぞれの生き様が描かれてきた物語「真田丸」。今回紹介した、真田丸登場人物ゆかりの地で、歴史に思いを馳せるドライブ旅をぜひお楽しみください。

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