偉大なるプルービンググラウンド、ニュルブルクリンクとはどんな場所?

     
   
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自動車開発やタイムアタックの聖地として知られる、ドイツ・ニュルブルクリンクサーキット。毎年5月には24時間耐久レースが行われており日本の有力自動車メーカーも参戦するなど、今では多くの自動車ファンにおなじみの場所となりました。しかし、このコースがどのような歴史を持っているのかはあまり知られていません。ここでは、そんなニュルブルクリンクについて解説。このコースが持つ魅力に迫っていきたいと思います。

ニュルブルクリンクとは?

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まずは、ニュルブルクリンクというサーキットの概要について見ていくことにしましょう。ニュルブルクリンクはドイツの西部、ベルギーとの国境に近い丘陵地帯に存在し、ケルンからは南に約60km、フランクフルト空港からは西北西へ直線距離で120kmという場所に位置しています。完成は1927年と大変歴史があり、1931年にはドイツ・グランプリが開催されました。現在特に有名なのは「ノルドシュライフェ」と呼ばれる北コースで、低速から高速まであらゆるコーナーが散りばめられており、そのコーナーの数は172にものぼります。このノルドシュライフェで試せないのは超高速域からのビッグブレーキングのみといわれており、その他のクルマに起きると考えられる事象はほぼ試せることから、近年はレースだけでなく自動車開発の場としても広く用いられているのです。

はじめは失業者対策から生まれたコースだった

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第一次世界大戦での敗戦で経済的に大きな痛手を被ったドイツは、毎日のように日用品をはじめとする商品の価格が急激に上昇して貨幣の価値が下落する「ハイパーインフレ」状態となりました。街には失業者があふれ、治安の悪化などの社会問題も生じてきます。ただ当時のドイツ国内の自動車業界を見てみると、すでにアダム・オペルやNSU、ダイムラー、ベンツ、ハノマークといったメーカーがすでに誕生しており、その後もアウディ、ヴァンダラー、ホルヒ、マイバッハ、BFW(のちのBMW)なども旗揚げされるなど、自動車工業の発展期を迎えていたところでした。モータースポーツも当然盛んになりますが、当時のレースは一般公道を使うレースであったために危険が伴いました。そこでアイフェル地方議会は、ある議員から提案のあった「失業対策も兼ねた自動車サーキットの建設」を承認します。この計画はアイフェルの近隣大都市であったケルンのコンラート・アデナウアー市長(のちのドイツ連邦共和国初代首相)の賛同を得たことにより、ドイツ帝国崩壊のあとを受けたワイマール共和国議会が直接財政支援をする一大プロジェクトへと成長。こうしてニュルブルクリンクは1925年の着工から、わずか2年で完成しました。

その名は「グリーン・ヘル」、ノルドシュライフェ

photo by mariechen(CC 表示-継承 2.0)

ニュルブルクリンクを象徴するコースは、先述のとおりノルドシュライフェとなります。このノルドシュライフェは「グリーン・ヘル(緑の地獄)」とも呼ばれ、これはかの名レーシングドライバーであるジャッキー・スチュワートによって名付けられました。ここがそのような名で呼ばれる理由はいろいろありますが、まずは高低差が300mもある点です。この極端な高低差があることで、ノルドシュライフェを走るクルマは激しい三次元の動きに常にさらされます。最速クラスの市販車の場合、横Gは2.8Gに達することも。自然の地形を利用したものなので、高低差はいわば「なりゆき」のようなものなのですが、これほどまでにクルマに多くのことを要求するコースはほかにありません。そして地形を利用したものといえば、ブラインドコーナーの多さも挙げることができるでしょう。また、見通しが悪い割には平均スピードが高いという実にチャレンジングなレイアウトとなっており、クルマの特徴や性能の優劣が見極めやすいというのもポイントとなります。このようなことからノルドシュライフェは世界屈指の難コースとの呼び声が高く、多くの自動車メーカーやサプライヤーが開発やテスト目的で「ニュル詣で」に訪れているのです。

ノルドシュライフェ最速の市販車は?

自動車メーカーのテストの最終仕上げとして行われることの多い、ニュルブルクリンク・ノルドシュライフェでのラップタイム計測。2015年に発生したVLN耐久シリーズ第一戦での事故の影響で一時中断されていましたが、現在はコースの補修も完了して再開されています。それでは、2017年現在のノルドシュライフェ最速市販車トップ10を見ていきましょう。

1位:ラディカル・SR8LM(2009年、6分48秒00)
2位:ランボルギーニ・ウラカン ペルフォマンテ(2017年、6分52秒01)
3位:ラディカル・SR8(2005年、6分56秒08)
4位:ポルシェ・918スパイダー(2013年、6分56秒08)
5位:ランボルギーニ・アヴェンタドールSV(2015年、6分59秒73)
6位:日産・GT-R NISMO(2015年、7分8秒68)
7位:メルセデスAMG・GT R(2017年、7分10秒92)
8位:グンベルト・アポロ スピード(2009年、7分11秒57)
9位:ダッジ・バイパー SRT-10 ACR(2010年、7分12秒13)
10位:レクサス・LFA ニュルブルクリンク・パッケージ(2012年、7分14秒64)

ラディカルは超軽量スポーツなので除外するとして、ここでの注目はランボルギーニ・ウラカン ペルフォマンテです。イタリアのスーパーカーが並み居るドイツ勢を相手に勝ったというのは、ランボルギーニがもはやただの「走る芸術品」ではなくなったという証でもあります。ベース車から40kgもの軽量化や、30PSアップされたエンジンパワーも効いているのでしょう。日本人として誇らしいのは、トップ10に2台がランクインされていること。いずれも日本の至宝ともいえるクルマたちで庶民には手の届かないものですが、夢を抱かせるには十分すぎるものでしょう。

日本車よ、もっとニュルを目指せ!

「ニュルブルクリンクを市販前の最終確認の場として使うのか、それともニュルブルクリンクで開発するのか。この差は大きい」こう語る自動車関係者がいます。確かに現在はシミュレーション技術の進化などで、ほとんどの解析はコンピュータ上で行うことが可能です。しかし、実際に走らせてみなければわからないことも多くあります。1980~90年代、日本では多くの名車が生まれました。ホンダ・NSX、日産・スカイライン GT-R、トヨタ・スープラ…いずれのクルマも、ニュルブルクリンクに開発の前線基地を構えて走り込みを行っています。だからこそ、名車と成りえたのです。クルマは会議室でつくるものでもなく、書類の決裁だけでつくるものでもなく、道を走ってはじめてつくられるもの。だからこそ日本のもっと多くの自動車メーカーがこの偉大なるプルービンググラウンドを活用し、底力を見せてほしいと願ってやみません。クルマの基本性能を鍛えることこそが、自動化よりももっと大切なことであると筆者は考えます。

日本車よ、もっとニュルを目指せ!

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