21世紀のクルマとは何かと考えた結果に生まれたプリウス
再びハイブリッド車が話題に登り始めたのは、1990年代に入ってからでした。当時すでにEV(電気自動車)の研究が進み、市販も行われていましたが、価格が高く、一般ユーザーには手の届かない存在でした。そんな中トヨタ社内では「21世紀にふさわしいクルマ」とは何かを模索し始めます。
「50%の燃費改善」という共通認識の元、既存の内燃機関の改良などが考えられましたが、トップからの「燃費向上は、最低でも100%でなければならない」という大号令が下り、これを達成する道はハイブリッドしかないということで、再びハイブリッドの研究が始まることになったのです。
そして1995年の東京モーターショーで、トヨタは「プリウス」と名乗るハイブリッドカーを発表します。しかしこの時、トヨタはハイブリッドという名称は避け「EMS(Energy Management System)」という全く新しいパワーユニットであると紹介していました。