日産「NISMO」ブランドを強化、NISMOの歩んだ道を振り返る

日産「NISMO」ブランドを強化、NISMOの歩んだ道を振り返る
     
   

日産のモータースポーツ部門である「NISMO」。現在ではその名を冠したロードカーが販売されるなど、実に今後が楽しみなブランドです。ここでは、そんなNISMOの歴史や現在販売されているロードカーについて詳しく見てみましょう。日本最大規模のレーシングコンストラクターは、いったいどんな道を歩んできたのでしょうか。

NISMO立ち上げまでの経緯

photo by Mytho88(CC 表示-継承 3.0)

NISMO設立以前の1960~70年代、日産ワークスは「追浜ワークス」と「大森ワークス」に分かれていました。前者は神奈川県横須賀市の日産自動車追浜工場内、後者は東京都品川区南大井に本拠地を構えます。追浜ではおもにラリーやプロトタイプマシンの開発を担当し、数多くの名車が生み出されました。特に有名なのが、R380~R382といったマシンたちです。高橋国光氏や北野元氏、黒沢元治氏といった当時のスタードライバーたちに託され、サーキットで猛威を振るいました。

一方の大森ワークスは、主に市販車を改造したツーリングカーの製作を担当。華やかな追浜と比べマイナーなイメージが付きまとい、日産社内でも二軍扱いだったといわれています。しかし追浜のドライバーたちはチームが用意したマシンにただ乗るだけだったのに対し、大森のドライバーたちはマシンを自ら製作してドライブすることから、開発やセットアップの能力に優れていたという見方があります。実際に大森に在籍していた鈴木誠一氏は、後に独立して東名自動車(現、東名パワード)を立ち上げました。

そして1970年代後半のオイルショックを経て、1980年代に入りモータースポーツが復調の兆しを見せたことから、日産はワークス活動再開の道を模索し始めます。こうした経緯で誕生したのが、NISMOだったのです。

1984年、NISMO設立

1984年9月、大森ワークスと追浜ワークスを母体としてNISMOことニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社が設立されました。初代社長には1958年にオーストラリア・モービルガス・トライアルにて日産ワークスとして出場し、その後追浜ワークスを指揮した経歴のある難波靖治氏が就任。同年10月には、大森にて営業が開始されます。

モータースポーツシーンに不可欠な存在

早くも設立翌年の1985年にはWEC JAPAN(スポーツカー世界選手権 日本ラウンド)にて、星野一義氏が駆るシルビアターボCが総合優勝。1986年にもJTC(全日本ツーリングカー選手権)にてマニュファクチャラーズタイトルを獲得するなど、最高のかたちでスタートを切っていきました。その後もル・マン24時間やスパ・フランコルシャン24時間、デイトナ24時間などに積極的に参戦し、好成績を収めます。

国内のレースを見てみても、1993年から始まった全日本GT選手権(現、SUPER GT)は毎年欠かさず参戦しており、多くのファンとともにこのシリーズを盛り上げています。今シーズンはマシンのセッティングが煮詰まらず苦戦を強いられていますが、中盤戦からの巻き返しに期待したいところです。

このようにNISMOは日本の、そして世界のモータースポーツシーンに欠かせない存在となっています。

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