ルノー=日産アライアンスが世界販売台数で初の首位を獲得。これまでの名車を振り返る

ルノー=日産アライアンスが世界販売台数で初の首位を獲得。これまでの名車を振り返る
     
   

7月末、自動車大手の2017年上期(1~6月)における世界販売台数が出そろい、ルノー=日産アライアンスがこの期間の首位を獲得しました。その内訳はルノーの187.9万台(前年同期比+10.4%)、日産の289.4万台(同+5.6%)、そして日産の傘下に入った三菱自動車の49.4万台(+2.4%)というもので、グローバルでは526.8万台(同+7%)を販売したことになります。そこで今回はこれを記念して、日産の名車たち20台を厳選して特集。時代を超えて、今なお愛されるクルマたちの歴史を振り返ってみましょう。なお、ここではプリンス自動車工業時代から存在するクルマも日産車として記述しています。

日産の先進技術ショールーム的存在、スカイライン

日産のクルマの代名詞といえば、スカイラインという方も多いと思います。このクルマは元々プリンス自動車工業のクルマで、1957年に初代が登場しました。常に時代の最先端技術を積極的に導入、日本のモータリゼーション発展に大きく貢献します。スポーティなイメージが付くようになったのは、1965年に発表されたS54型からでしょう。その後1968年にはGT-Rが登場、サーキットで猛威を振るいます。現行型ではGT-Rが独立、スカイラインはスポーツセダンとして初代から受け継いだ高いGT性能を、ダイレクトアダプティブステアリングやハイブリッドという先進のメカニズムでさらに昇華しているのです。

ワインディングに舞う貴婦人、フェアレディZ

日産オリジナルのスポーツカーとして、今もなお多くのファンを持つクルマがフェアレディZです。オープンスポーツであったダットサン・フェアレディの後継車として開発され、対米輸出も考慮に入れられた点が特徴です。初代が目指したのは「MGの価格で、ジャガーの性能」。このコンセプトは大当たりし、北米では「Z(ズィー)カー」と呼ばれ親しまれます。代を追うごとに高性能化&GT化していき、4代目のZ32型はその象徴といわれています。2002年に発売された5代目であるZ33型は原点に立ち返り、2シーターのコンパクトなスポーツモデルとしてチューニングベースとしても好評を博しました。

常に時代をリードした高級車、セドリック/グロリア

photo by Ypy31(CC0) 

1990年代までの日産の高級車といえば、セドリックやグロリアが挙げられます。セドリックは日産から1960年に、グロリアはプリンスより1959年に発売されました。いずれもトヨタ・クラウンを多分に意識した設計が特徴で、当時のアメリカ車に似たスタイリングも共通していました。セドリックは2代目ではピニンファリーナデザインの流麗なボディをまとい、グロリアは2代目もアメリカンスタイルを貫き通した点が興味深いところです。そんな両車は1971年に車台や車体が共通化され、兄弟車となります。常に時代のニーズに応えながら進化していったセドリック/グロリアですが、フーガの登場により消滅しました。

新しい高級を市場に提案したローレル

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1960年代当時、高級車と呼ばれていたクルマたちにはセダンのみならす、バンやタクシー仕様が用意されていました。この流れには乗らず、オーナーグレードのみで勝負したクルマがローレルです。こういったことからローレルは、日本初のハイオーナーカーとして人々に記憶されています。ブルーバードとセドリックの中間に位置し、その絶妙なポジショニングから注目を集めました。2代目ハードトップは「ブタケツ」の愛称を持ち、中古車市場や旧車イベントでは今でも高い人気を誇ります。そして6代目はスタイリッシュな外観とスポーティなメカニズムから、ドリフト走行をするユーザーにも引っ張りだこでした。

日本の自動車社会を支え続けたブルーバード

戦前から続くダットサンブランドのセダンの血筋を受け継いで、1959年に誕生したクルマがブルーバードです。日本初のエステートタイプのワゴンや女性仕様車なども話題となり、日産のクルマの中心的な存在へと成長していきました。中でも語り継がれることが多いのは、1967年に登場した510型でしょう。直線的でシャープなデザインと信頼性の高いエンジンや足回りは、当時のクルマ好きを虜にしました。ライバルのトヨタ・コロナとの販売競争も熾烈を極め、これは「BC戦争」と呼ばれています。その後もユーザーの声に真摯に耳を傾け、時代に沿った真面目なクルマづくりを行って日本のクルマ社会を支えたのです。

日本の自動車黎明期を支えたサニー

1960年代の日本、それはオリンピック景気に湧いて高速道路が雨後の筍のごとくつくられ、モータリゼーションがひとつの転換期を迎えた時代でした。そんな時に生まれたクルマが、サニーです。細部に至るまで合理的な設計は、当時のヨーロッパの小型車の影響を受けてのもの。その後は時代の流れを映すかのようにデラックス化が進み、1985年に発売された6代目(いわゆる「トラッド・サニー」)でひとつの頂点を迎えます。1990年から販売された7代目は日本国外でも高い人気を誇り、メキシコでは「ツル」という名前で2017年まで生産されました。モータースポーツでも活躍し、多くのドライバーを輩出したことで有名です。

名車の実質的後継車としてデビューしたバイオレット

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名車510型ブルーバードのあとを継いで登場した610型ブルーバードUは、高級志向が強すぎて510型ユーザーが乗り換えを躊躇する事態が起こっていました。そこで日産はサニーとブルーバードUの間を埋めるべく、新しい車種を企画します。これが、バイオレットです。当時流行していた複雑なラインを取り入れた曲線基調のスタイリングは斬新でしたが、後方視界が悪いなど実用性に欠ける一面も見られました。この声に応え、モデル途中で大幅なスタイリング変更を行うことになります。その一方、ラリーやレースといったモータースポーツでも幅広く活躍し、510型の後継車としての役割をしっかりと果たしたのです。

コアな旧車ファンに人気の高いプレジデント

photo by Ypy31(CC0)

日産を代表するプレステージセダンとして存在していたのが、プレジデントです。戦後初の3ナンバー乗用車であったセドリックスペシャルの後継車として、1965年に誕生しました。「最高の地位に立つ者」というその名にふさわしく、4リッターV8と3リッター直6のエンジンが用意され、車体サイズも当時の国産車の枠を超えるクルマでした。初代はボディの基本構造をほぼ変えることなく、フェイスリフトやエンジンの変更などを行いながら1990年まで生産が続けられました。1990年には、インフィニティ・Q45をベースにしてモデルチェンジ。その後2003年にはシーマをベースに変更され、2010年まで生産されました。

走り好きな若者に愛されたシルビア/ガゼール/180SX

日産を代表する小型スポーツが、シルビア/ガゼール/180SXです。1964年の東京モーターショーに出展された「ダットサン・クーペ1500」を元に、翌年日産はシルビアとして発売。価格が高かったこともあり商業的には成功せず、わずか554台で生産を終了します。ガゼールはシルビアの販売店対策車として1979年に登場、1982年には名機FJ20搭載車が追加されます。180SXは1989年に登場、5代目シルビアとは兄弟車となります。小型軽量ボディに、1980年代当時としては希少なFR車であったことから若者の間で火が付き、中古車市場でも未だ高い人気を誇っています。もっとも復活が期待されるクルマの1台です。

世界が愛するベーシック、マーチ

老若男女に愛される日産車といえば、マーチの右に出るクルマはないでしょう。トヨタ・スターレットやダイハツ・シャレードの市場での成功を受け、日産が1981年の東京モーターショーに出展したのが「NX-018」です。翌1982年、このコンセプトカーは「マーチ」という名で市販化されます。ジョルジェット・ジウジアーロによりデザインされた端正なフォルムは多くの人のハートを掴み、一躍人気車種となりました。そして1992年に登場した2代目は、コンパクトカーの本場欧州で高く評価されます。現行型は、2010年にデビューした4代目。日本向けはタイで生産され、グローバルコンパクトとして名を馳せています。

サーキットでも活躍した日産初のFF車、チェリー

1970年、日産初のFF(前輪駆動)車として発売されたクルマがチェリーです。元々はプリンスが研究していたFFを、日産の手によってかたちにしたというのが適当でしょう。パワートレインは、イシゴニス式(エンジンの下にトランスミッションを搭載する方式)を採用。サニーの下に位置する、入門的なクルマとして販売されました。セダンのほかにクーペやバン、ワゴンなどもラインナップされ、特にクーペは若き日の星野一義など日産のワークスドライバーたちの手によりサーキットで大活躍を見せます。また販売店の再編がなされたのもチェリーが発売された頃で、従来の「コニー店」の多くが「チェリー店」に変わりました。

日産が生んだ欧州の風、パルサー

日産初のFF車として一定の成功を収めたチェリーの後継車となったのが、パルサーです。初代より欧州市場を意識して開発されたデザインや走りのティストは、多くのクルマ好きを魅了しました。それを物語るエピソードとして有名なのは、アルファ ロメオ・アルナのイタリアでの現地生産でしょう。このアルナは2代目パルサーをベースとし、欧州を中心に販売されました。日本では販売されませんでしたが、パルサーの欧州イメージをクルマ好きに植え付けるには十分なものでした。1990年に発売されたGTI-RはWRC制覇を目論んだ意欲作でしたが、クルマの構造上の問題で目立った成績を収められませんでした。

打倒ソアラに燃えたレパード

日産が誇る高級スペシャリティカーが、レパードです。ブルーバードの上級クラスとして、またスカイラインやローレルに並ぶ高級車戦略の一翼を担うクルマとして1980年に誕生しました。燃費計やフェンダーミラーワイパーなど多くの先進技術を装備していたことが話題となる一方、メカニズムに関しては旧態依然としたものでした。このため、同時期に登場したトヨタ・ソアラの後塵を拝することになります。2代目は1986年にデビューし、人気ドラマ「あぶない刑事」の劇中車としても登場。こちらもソアラを強烈に意識したクルマづくりが印象的でした。その後レパードは1999年まで生産され、4代で幕を閉じます。

「901運動」の成果のひとつ、プリメーラ

photo by Thomas doerfer(CC 表示-継承 3.0)

欧州市場を視野に入れて本格的なクルマづくりが行われたのが、プリメーラです。1980年代、日産はフォルクスワーゲン・サンタナのノックダウン生産をおこなっていました。ここで得たノウハウの多くが、プリメーラに活かされたというわけです。そして時代は1990年代に技術世界一を目指す、いわゆる「901運動」に突入。その成果として生まれたフロントマルチリンク、リアパラレルリンクストラットの足周りは、硬さはあるもののしなやかな動きを見せ欧州車のようだと高く評価されました。英国や日本のツーリングカーレースでも大活躍、その名を広めます。FFセダンのひとつの完成形ともいえるクルマでしょう。

様々な国と地域で活躍したサファリ

トヨタ・ランドクルーザーと双璧をなす日産のクロスカントリー四駆が、サファリです。かつての60型パトロールを受け継ぐかたちで1980年に誕生、多彩なエンジンラインナップとATが一部グレードで選択できたことから人気モデルとなります。1987年に登場した2代目ではラダーフレームは受け継ぎましたが、サスペンションがリーフからコイルスプリングへと変更。オンロードでの乗り心地が大きく改善されました。1997年には3代目にモデルチェンジ。ライバルを意識して卓越した走破性はそのままに、装備のクオリティを大きく向上させました。国内での販売は終了していますが、海外では販売が続けられています。

「使えるSUV」を目指したエクストレイル

1990年代、トヨタ・RAV4の発売により爆発的に普及したライトクロカン。社会現象にもなり、多くのメーカーからフォロワーが生み出されました。日産がこの市場に送り込んだのが、エクストレイルです。初代のライバルとの違いは、何といっても堅牢なつくりと高級志向とは無縁の道具に徹したコンセプトでしょう。これにより、アウトドアスポーツを愛する顧客の注目を浴びます。2007年に登場した2代目ではディーゼル車が、2013年から販売されている現行モデルではハイブリッド車がラインナップ。また今年行われた改良で運転支援技術「プロパイロット」が装備されるなど、最先端の技術を装備しているのも特徴です。

現代のミニバンを先取りしたプレーリー

まだミニバンという概念がなかった1982年に「びっくり BOXY SEDAN」というキャッチコピーで誕生したクルマが、プレーリーです。開発は旧プリンス主導で行われ、開発主管としてのちにR32型GT-Rなど多くの名車を生み出した伊藤修令が指揮を執りました。3列シートや高いスペース効率を実現した低床構造など、現代のミニバンに通じる仕組みはこの時生み出されます。時代を先取りしすぎた面があったためヒット車種とはなりませんでしたが、その後も2度のモデルチェンジを経て2004年まで販売が続けられました。現在は、マツダ・プレマシーのOEM車であるラフェスタがその座を受け継いでいます。

社会現象にまでなったシーマ

1980年代半ばのプラザ合意に端を発した、未曽有の好景気。その最中の1988年、一般オーナー向けの最高級車として市場に送り出されたのが、シーマです。セドリック/グロリアの上級車種として企画され、トヨタ・クラウンの対抗策という側面も持っていました。折しも時代はハイソカーブーム真っ只中、ユーザーの上級志向も高く、一躍大ヒット車種へと登りつめます。この様子は「シーマ現象」ともいわれ、その年の流行語大賞にもノミネートされたほどです。ただこの勢いはバブルが崩壊するとともに弱まり、代が変わっても初代ほどの輝きは見せられませんでした。現行モデルは、フーガをベースとする4代目となります。

強い個性を発揮したパイクカー

photo by 韋駄天狗(CC 表示-継承 3.0)

1980年代の日産車といえば、強烈な個性を発揮したパイクカーたちの存在を忘れてはなりません。大量生産では得られない「とんがった」クルマづくりを目指したこれらのクルマたちは、大規模な市場調査を目的とした「実験」的側面も見受けられます。まず1987年に、Be-1を発売。これまでにないユーモラスなフォルムから、高い人気を誇りました。その後1989年には、パオを発表。レトロモダンなスタイルが受け入れられ、最長で1年半という納期も話題に。1991年に登場したフィガロは初代マーチがベースとは思えない高い質感が売りで現在もファンも多く、何とイギリスではオーナーズクラブまで存在しています。

これぞ21世紀の日産の名車、リーフ

今後の日産を語る上で欠かせない存在となるのは、間違いなくリーフでしょう。2009年の日産自動車横浜グローバル本社竣工式や、その年に行われた東京モーターショーで発表を行い、翌2010年より一般向けに販売が開始されました。それまで電気自動車は「手の届かない乗り物」というイメージがありましたが、三菱・i-MiEVとともに広くその存在を認知させたという点では現代の名車の資質を十分に持っているといえます。出力や利便性の改善を絶え間なくおこなうことにより、商品性も向上。価格も、より現実的なものになりました。間もなく2代目にフルモデルチェンジするということで、さらに期待がかかります。

日産よ、今こそ過去の名車の歴史に学べ

ここまで日産の名車たちを見てきましたが、皆さんの記憶に残っているクルマはどれくらいあったでしょうか。確かにクルマというものは、うがった見方をすればただの耐久消費財に過ぎないかもしれません。しかしその一台一台に歴史があり、ストーリーが感じられるからこそ多くの熱狂的なファンが今もなお存在しているのではないでしょうか。先進性は確かに大切ですが、物語性は自動車を文化的な側面でとらえた時にもっと大切です。日産の名車たちには、その物語性があふれています。だからこそ、過去の名車の歴史を大切にしたクルマづくりをしてほしいと思います。今後の日産に、期待しましょう。

【関連項目】

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