アウディという自動車メーカーに対して皆様はどのような印象を抱かれているでしょうか。
フォルクスワーゲンの上位互換という厳しい見方をされる方もいらっしゃれば、近年のデザインにおける、時代を先取りする先鋭さを感じている方もまた、多くいらっしゃることでしょう。はたまたスポーツ活動、とりわけラリーにおける輝かしい功績を残したメーカーであるという印象を持つ方もいらっしゃると思います。
今回はそんな自動車メーカー、ドイツ御三家の一角の1つであるアウディというメーカーに焦点を当て、その魅力の秘密に迫ってみます。
アウディ誕生秘話
アウディといえば、シルバーのリングが四つ重なった特徴的なシンボルですが、その意味を皆様はご存知でしょうか。これは、実は四つの会社の統合を意味するものであるのです。アウディという会社はもともと、アウディ、デーカーヴェー、ホルヒ、ヴァンダラーという会社から成り、そのエンブレムもその四つのブランドの統合の象徴であるのです。
創業者は、アウグスト・ホルヒというメルセデス・ベンツの前身の会社、ベンツ社の技師でした。アウグストホルヒは三年間ベンツ社で働いたのちにホルヒ社を立ち上げます。
ホルヒ社においてホルヒは、品質や性能へのあくなき探求を続きました。これは現在のアウディのスローガン「技術による先進」に受け継がれるスピリットですが、その利益を顧みない探求心があだとなり、ホルヒは会社を追われることになります。
そこでホルヒが新たに設立した会社こそが、アウディであったのです。正確に言えば、はじめは自分の名前が入った社名でありましたが、ホルヒ社によってその社名の使用を差し止められたため、ラテン語で同様の「聞く」という意味を持つアウディという社名にしたのが始まりだといわれています。
その後、第一次世界大戦での敗戦、世界恐慌を経験したドイツはその経済に大打撃を受けます。その余波は当然ドイツのすべての自動車会社にも及びました。単独での存続が厳しくなったこともあり、先述した四つの会社が統合し、「Auto Union AG」という会社を設立しました。
これがアウディの元になります。その後もいわゆるアウトウニオンは存続しますが、一大転機を迎えます。それが1958年のダイムラーベンツの傘下になったことです。ダイムラーベンツ傘下において、DKWジュニアという乗用車が大ベストセラーとなったことでその名声は世界にとどろくことになります。
しかし、その後すぐにダイムラーベンツの経営方針の転換からフォルクスワーゲン傘下に移ることとなります。そして、フォルクスワーゲン傘下でついに、1965年にアウディブランドが復活することになります。そしてその後も前輪駆動のミドルクラスセダンを生産する堅実なブランドとして発展し、その後もロータリーエンジンの開発で知られたNSUを併合するなど、発展を続けます。
アウディ80やアウディ100などのヒット作を世に送り出しながら、拡大を続けたアウディはフォルクスワーゲングループの上級クラスの車種を担うブランドとして発展し、晴れて1985年にアウディとしての社名が復活することとなります。