スリーダイヤの輝きよ、もう一度!三菱の歴史を作った名車20選

     
   
photo by Mytho88(CC BY-SA 3.0)

一連のリコール隠し問題や燃費偽装問題で、世間を騒がせた三菱自動車。しかしその歴史をひも解けば、多くの名車が存在していたことは事実です。

そんな三菱自動車は自動車メーカーとしては比較的新しい企業で、1970年に三菱重工から独立するかたちで設立されました。三菱重工の一部門であった時代から考えると、そのルーツは戦前にまでさかのぼることができ、長い歴史を持つブランドのひとつとして知られています。

ここでは、そんな魅力にあふれた三菱のクルマたちを紹介して、三菱を応援したいと思います。いずれもファンの記憶に残る、熱い思いがこもったクルマたちばかりです。

1:三菱のタウンベーシック「ミニカ」

三菱初の軽自動車としてデビューしたのが、ミニカです。軽自動車全体では、ダイハツ・ハイゼットやスバル・サンバーと並ぶ長寿車種でした。

信頼性の高さと堅牢な設計が特徴ながらも、80年代にはパワーウォーズに対応するかたちで5バルブDOHCの「ダンガン」をラインナップするなど、時代の要請に細かく対応したクルマでした。

2:21世紀の新しい軽のかたち「eK」

燃費偽装問題で真っ先に取り上げられたeKシリーズですが、その実体は非常に真面目に作られた軽自動車です。「いい軽自動車を作ろう」というフレーズのもと基本に忠実に、デイリーユースでの扱いやすさを重視したのが特徴です。

日産自動車にもOEM供給され、「オッティ」「デイズ」として販売されていました。

3:電気自動車を身近にした「i」

リアエンジン・リアドライブという異色のメカニズムを持った軽自動車が、iです。ノーズの短い近未来的なデザインは、このエンジンレイアウトだからこそ実現したといってもいいでしょう。

このレイアウトを活かし、2009年には電気自動車「i-MiEV」が登場。それまで遠い未来の乗り物だと思われていた、電気自動車の普及に大きく貢献したのです。

4:実直な作りが魅力「コルト」

photo by Kuha455405(CC BY-SA 3.0)

三菱としては戦後初の乗用車、500をルーツに持つクルマがコルトです。1962年に登場し「見ただけで乗りたくなるクルマ」をコンセプトに開発され、見切りの良い、運転しやすいデザインが特徴的でした。

21世紀に入り、2002年に再びコルトの名が復活。初代メルセデス・ベンツCクラスなどを手掛けたオリビエ・ブーレイ氏のデザインによるエクステリアは、面白みこそありませんでしたが堅実な作りが魅力でした。

5:三菱の名を世界に知らしめた「ランサー/ミラージュ」

今でも人気の高いランサーエボリューションシリーズのベースになったモデルが、ランサーです。初代よりモータースポーツフィールドで活躍する一方「セレステ」と呼ばれるスペシャリティ的モデルも存在していました。

ミラージュはカープラザ店の専売車種として登場、三菱初のFF車でした。1992年には、世界最小のV6 1,600ccエンジンを搭載したモデルもデビュー。現在はミラージュのみがラインナップされています。

6:スペシャリティ色の強い「トレディア/コルディア」

photo by Riley(CC BY 2.0)

ギャランΣ/エテルナΣとランサー/ミラージュの中間的車種として企画されたのが、トレディアです。基本的なコンポーネンツはミラージュと共用され、同社のFFセダンの実験的要素が強いクルマでした。FRのランサーEXと併売されていましたが、販売台数は伸び悩み苦戦しました。

コルディアはトレディアの3ドアハッチバック版で、4速MT車には「スーパーシフト」と呼ばれる副変速機が装備されていました。

7:先進的な主力車種「ギャラン/エテルナ」

コルトの成功を受け、1969年に発売されたクルマがコルトギャランです。初代のデザインはジョルジェット・ジウジアーロのデザインを元に、社内デザイナーであった三橋慎一氏によってまとめられました。

ターボや4WD、4WSといった当時の先進技術を積極的に採用したクルマ作りがポイントで、1992年に登場した7代目ではファジィ制御のATが搭載されました。

エテルナはギャランの兄弟車で、1978年にカープラザ専売車種としてデビューしました。

8:欧州生まれの異端児「カリスマ」

photo by Rudolf Stricker(CC BY-SA 3.0)

3ナンバーに肥大化したエテルナは、販売台数が大きく落ち込んでいました。そこで登場したクルマが、カリスマです。このクルマはボルボS40/V40シリーズとプラットフォームを共有し、オランダのネッドカーで生産されていました。

日本市場ではコンパクトなボディサイズから支持されたボルボとは異なり、シンプルで飾り気のないカリスマは市場で受け入れられず苦戦。結局アスパイアにその座を受け渡し、1代限りで消滅してしまいます。

9:画期的なアッパーミドル「ディアマンテ/シグマ」

80〜90年代初頭に賑わいを見せていた、アッパーミドルクラスでの三菱の回答がディアマンテです。

当時このクラスはFRが主流でしたが、ディアマンテは横置きエンジン+FFという先鋭的なパッケージングで登場しました。三菱のお家芸である、電子制御技術も多数採用。1990年には、日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。

シグマはギャラン店専売の兄弟車で、ディアマンテのセダン版という位置づけでした。

10:クロスオーバーの元祖的存在「RVR」

photo by Kuha455405(CC BY-SA 3.0)

現在流行りのクロスオーバーSUVの元祖ともいえるモデルが、RVRです。カープラザ専売車種で、オフロード走行を意識した「スポーツギア」や、開放感が魅力の「オープンギア」など多彩なラインナップを誇っていたのが特徴です。

ランサーエボリューションシリーズ直系の4G63エンジンを搭載した「スーパースポーツギア」も追加され、三菱RV戦略の基幹車種として君臨していました。その後しばらく系譜が途絶えていましたが、2010年に復活。本格SUVとして再出発しています。

11:ミニバンを世に知らしめた「シャリオ」

photo by b9hetare(CC BY-SA 3.0)

まだ多人数乗り乗用車がほとんど普及していなかった1983年にデビューしたのが、シャリオです。日産・プレーリーと並び、日本のミニバンの先駆け的存在でした。ベースとなったはトレディアで、3列のシートをコンパクトに収め、高いスペースユーティリティを誇りました。

2代目ではRVRと同じく4G63エンジンを搭載した、リゾートランナーGTをラインナップ。世界最速の7人乗りとも言われていました。

3代目では「グランディス」のサブネームが付き、3列目シートを取り外しできるなど、使い勝手が向上しました。

12:スクリーンやテレビでも活躍した「スタリオン」

「ヘラクレスの愛馬、アリオンが今、星になって帰ってきた」というキャッチコピーを引っさげて登場したのが、スタリオンです。当初はランサーセレステの後継車としてデビューする予定でした。

ポルシェ・924などがライバルとして挙げられましたが、ボールナット式のステアリングフィーリングは大味で、繊細さに欠ける面も見られました。モータースポーツの世界でも活躍し、全日本ツーリングカー選手権にも出場。

その一方でジャッキー・チェン主演の映画「キャノンボール2」や、ドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」などでもその姿を見ることができました。

13:アメリカ生まれのスペシャリティ「エクリプス」

80年代後半、すでにモデル末期を迎えつつあったスタリオンは、北米市場での訴求力が次第に弱まっていきました。そして当時提携関係にあったクライスラーも、スポーツクーペであるレーザーがモデルチェンジ時期にさしかかっていました。

そんな同社の利害が一致し、生み出されたのがエクリプスです。日本にも輸入されていましたが、大ヒットした北米とは違い販売状況は芳しくありませんでした。

しかし2000年代のスポーツコンパクトブームで火が付き、中古車市場ではコアな人気がありました。

14:軽快な走りが魅力の「FTO」

photo by Mitsupicture(CC BY-SA 3.0)

コンパクトなスポーツFRとして登場したのが、ギャランクーペFTO(画像)です。セミノッチバックスタイルの2ドアのみというシンプルな構成で、その名の通りギャランと多くのコンポーネンツを共有していました。

1994年には、FTOとして名称が復活。トヨタ・セリカやホンダ・インテグラのライバルとしてデビューし、この年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。日本で初めてマニュアルモード付きATを採用したのも、このクルマでした。そのためAT車の人気が高いという、このクラスのスペシャリティカーでは珍しい存在です。

全日本GT選手権にも、GT300クラスで参戦していました。

15:新世代スーパースポーツ「GTO」

photo by Tennen-Gas(CC BY-SA 3.0)

三菱のフラッグシップスポーツとして1970年に登場したのが、ギャランGTOです。FTOの兄貴分的存在で、こちらもギャランと基本設計の多くを共用していました。当時流行していたアメリカンなマッスルカーのデザインを巧みにディフォルメし、人気を呼びました。

1990年にはGTOとしてその名称が復活しましたが、中身は全く異なり、4WDのマッシブなスーパースポーツカーへと変貌を遂げました。三菱自慢のハイテク技術の集大成「オールホイールコントロール」理論を取り入れ、日本車初採用の装備も目白押しでした。

車重の重さがネックでしたが、軽量バージョンである「MR」も追加されています。

16:ワゴン=商用という常識を覆した「デリカ」

photo by Tennen-Gas(CC BY-SA 3.0)

80年代までは、ワンボックスのワゴンというと商用車の延長線上に見られることが多いジャンルでした。しかしその流れを断ち切ったのが、3代目デリカの乗用モデルであるデリカスターワゴン(画像)です。

クリーンにまとめられたフォルムは都会的で、ワンボックスにありがちな安っぽさが徹底的に排除されていました。これはその次の代のデリカスペースギアでは決定的となり、日本のRVブームの牽引役となります。

現行型は三菱オリジナルの「D:5」、スズキ・ソリオのOEM車である「D:2」、日産・NV200バネットのOEMである「D:3」など、多彩なラインナップを誇っています。

17:過酷なフィールドで鍛えぬかれた「パジェロ」

かつて三菱は、ウイリス社のジープをノックダウン生産していました。ここで得た4輪駆動車のノウハウを乗用車という形で実現し、乗用クロカンという新たなジャンルを築いたのがパジェロです。

前後重量配分50:50を実現し、高い走破性と快適な乗り心地から多くのユーザーに受け入れられました。80〜90年代のRVブームにおいては、クロカン4駆といえばパジェロというほど知名度の高いクルマでした。

モータースポーツにも積極的に参戦、パリダカ(パリ・ダカール・ラリーもしくはダカール・ラリー)での輝かしい栄光の数々は、パジェロの基本性能の高さを証明しています。

18:小さくても走りは本格派「パジェロミニ」

RVフルラインナップを実現すべく、1994年に発売された軽自動車がパジェロミニです。車名は一般公募で決定されました。

ミニキャブの変速機や駆動系を基本に、モノコックボディとラダーフレームを溶接することにより、高いボディ強度と力強い走りを実現しています。ルックスも、兄貴分であるパジェロを軽自動車枠に巧くリサイズ。スズキ・ジムニーとともに、軽SUVのメインストリーマーとなりました。

2008年には日産にOEM供給され、「キックス」の名で販売されていました。

19:大いなるショーファードリブン「デボネア」

3代に渡って生産された、三菱のフラッグシップ的存在がデボネアです。初代は1964年に登場、1986年まで基本構造をほとんど変えることなく生産し続けたことから、マニアの間では「シーラカンス」という呼び名で親しまれています。

2代目からは駆動方式をFFに変更、スーパーチャージャー搭載車やAMG仕様など、個性的でバラエティに富んだラインナップを誇っていました。

3代目は、ボディを3ナンバー専用に統一。この頃の三菱車らしくハイテク制御が多く取り入れられましたが、初代から続く「三菱グループ系ショーファードリブン」というイメージは拭いきれず、この代で姿を消します。

20:新世紀のフラッグシップ「プラウディア/ディグニティ」

photo by CEFICEFI(CC BY-SA 3.0)

デボネアの後継車として企画されたクルマが、プラウディアです。トヨタ・セルシオや日産・シーマなどが直接のライバルで、デボネアと同じく三菱の最高級車という位置づけでした。

このクラスとしては珍しくFF方式が採用され、ヒュンダイ・エクウスと基本コンポーネンツを共有していました。ディグニティはプラウディアのストレッチリムジン版で、わずか59台という限定車を除く日本車では最も生産台数の少ないクルマとして記録に残っています。

2012年には日産・フーガのOEM車としてプラウディアが、日産・シーマのOEM車としてディグニティが復活。新世紀の三菱のフラッグシップカーとして君臨しています。

一日も早い名誉回復、復活を!

日産自動車との資本業務提携というかたちで一旦の終結を見せた、今回の燃費偽装問題。企業としてはそういったかたちで良いのかもしれませんが、やはり自動車メーカーはクルマを売ってナンボというもの。魅力的なクルマの登場を、ファンは待ち望んでいます。

90年代の三菱車はハイテク技術を武器に、新たな提案を市場に次々と打ち出していました。そんなかつてのような勢いのあるクルマ作りを、今後も期待したいところですね。

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