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世界三大レース特集:栄光のチェッカーを目指して。ル・マン24時間耐久レース【3か月連続連載企画】

2017.06.12

photo by United Autosports(CC 表示-継承 2.0)

3か月にわたって連載してきた世界三大レース企画の締めくくりは、毎年6月に行われるル・マン24時間耐久レースです。モナコGPやインディ500同様、大変歴史と格式のあるレースとして知られています。耐久レースの草分け的存在ともいえるこのレース、どんな歴史があるのでしょうか。またここでは、レースが開催されるサルトサーキットの特徴についても迫っていきます。今週末のレースの予習に、是非役立ててみてはいかがでしょうか。

ル・マン24時間レースとは?

まずはル・マンをあまり知らない方のために、どんなレースなのかをお話ししておきましょう。このレースは先述のように毎年6月に開催されますが、その開催日は1年のうちでももっとも昼の時間が長い夏至の頃が選ばれます。開催地はフランスの小さな街、ル・マン市。フランスの西部に位置し、カトリック教会のル・マン司教座が置かれていることでも有名です。レースは、このル・マン市にあるサルトサーキットを舞台に行われます。一周約13kmにも及ぶこのサーキットは世界でも有数の難コースとして知られ、ドライバーやマシン泣かせのレイアウトとなっています。そして、24時間でもっとも多くこのコースを周回したチームが優勝ということになるのです。

最初は市販車によるレースだった

現在でこそル・マンの花形はレース専用に設計されたプロトタイプレーシングカーですが、開催最初期の頃は市販車を用いたレースでした。これは現在も主催を務めるフランス西部自動車クラブ(ACO)の意向で、当時まだ不完全であったクルマの照明装置のテストの意味合いも兼ねていたといわれています。市販車の性能を試すにはうってつけの機会ということで、記念すべき第1回目の開催時には当時としては大量の35台ものエントリーが集まりました。悪天候の中行われたこのレースはシュナール&ワルケールを駆ったA.ラガシュ/R.レオナール組が制し、その名を刻みました。ちなみに超高速バトルのイメージが強いこのレースですが、平均速度が100km/hを超えたのは1926年のことでした。

戦後は自動車メーカーの対決の舞台に

戦前のフランスの自動車メーカーのストライキや第二次世界大戦による中断を経て、1949年にル・マンは再開されました。レギュレーションに初めて「プロトタイプ」の文字が記され、レース専用車両の参戦が可能になります。こうしたことからレースを宣伝の場と考えるメーカーのエントリーが増え、活況を呈しました。フェラーリやジャガー、メルセデスなどが参戦し始めたのもこの頃です。しかしメルセデスは1955年に起こした大惨事(接触事故を起こしマシンが宙に舞い上がった後、観客席側のコンクリート壁に激突。死者83人、負傷者100人以上)以降、しばらく姿を見せることはありませんでした。

フォード、日本車が台頭した1960~70年代

マトラ・MS670 photo by Baptiste vialatte(CC 表示-継承 3.0)

1960年代は、再び市販車ベースのマシンであるGTカーが覇権を争う時代に突入します。圧倒的な強さを示したのは、アメリカからの刺客であるフォードです。物量作戦を展開し、打倒フェラーリに燃えるフォードは1966年、ついにル・マンを制覇しました。翌年もフォードが勝ち、アメリカ人によるアメリカ車でのル・マン初優勝という記録を打ち立てます。

記録という点では、1972年のレースも忘れてはなりません。この年優勝したG.ヒルはモナコGPやインディ500も制したドライバーで、現在まで唯一世界三大レースを制覇しているドライバーなのです。そして1970年代といえば、日本の有力プライベーターであったシグマ・オートモーティブがル・マンに初参戦したということで記憶されている方も多いことでしょう。これが、日本メーカーのル・マン挑戦へとつながっていくのです。

「Le Japon attaque(日本の来襲)」と呼ばれた1980~90年代

マツダ・787B photo by 韋駄天狗(CC 表示-継承 3.0)

1982年にグループC規定が発効されると、ル・マンもグループCカーでの争いとなりました。黎明期に実力を発揮したのはポルシェで「耐久王」の名を欲しいままにします。しかしその裏で実力を蓄えていたのはトヨタ、日産、マツダという日本の自動車メーカーたちでした。特にマツダは、ロータリーエンジンという伝家の宝刀でこのレースに挑み続けます。そして1991年、悲願の総合優勝を果たしました。日本の自動車メーカーの総合優勝はこれが初めてで、それと同時に現在まで唯一の日本車の優勝記録となっています。

そして90年代後半に差しかかると、再びGTカーが台頭し始めます。マクラーレンF1などが猛威を振るっていたのもこの頃で、1995年には関谷正徳が日本人として初めてポディウムの中央に立ちました。この後のGTカーは、市販車とのかい離が目立ち始めます。それを象徴するマシンとして1998年にはトヨタTS020が登場、物議を醸します。そしてここから再び、ル・マンはプロトタイプの時代へと入っていきます。

ハイブリッドが主役となった現代のル・マン

アウディ・R18 e-tron クワトロ photo by David Merrett(CC 表示 2.0)

2004年のル・マンには、初のディーゼルマシンが登場しました。ローラB2k/10Bキャタピラーがそれです。残念ながらレース開始後4時間でリタイアしましたが、ディーゼルの可能性を示すには十分なものでした。それに続くように21世紀の耐久王と呼ばれたアウディも、2006年にはディーゼルエンジン搭載マシンR10TDIで挑戦、見事優勝を果たしています。翌年にはプジョーもディーゼルを引っ提げ参戦、2009年に制覇しました。

潮目が変わったのは2012年、ル・マンがWEC(FIA 世界耐久選手権)に組み込まれてからです。これによりハイブリッドマシンが台頭し、優勝争いはこのハイブリッドマシンによって争われるようになりました。今年もその流れは変わらず、ポルシェとトヨタはハイブリッドシステム搭載車で挑むことになります。

長いサーキットだけど、見どころは?

一周が13.629kmあるサルトサーキット。開設当初は非常に緩やかなカーブとロングストレートを2本含む簡単なレイアウトでしたが、安全性を向上させるべく改修を重ねて現在のものに落ち着きました。最初の見どころは、なんといってもユノディエールのストレートでしょう。2か所のシケインが設けられており、ここのブレーキング競争は圧巻の迫力です。ちなみにマシンの最高速は、1つ目のシケインの手前で出ることが多いといわれています。また、このストレートが終わるミュルサンヌコーナーも大きなブレーキングポイントとなっており、観客席も用意されています。次に待ち構えるコーナーは、インディアナポリスコーナー。その名のとおりインディ500が行われるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)に由来し、IMSのように路面がバンクしていることや、かつてレンガ敷きであったことがそのように呼ばれる理由です。ここも見どころのひとつとなっています。そして超低速コーナーであるアルナージュ、高速コーナーであるポルシェ・カーブとマシンは進みます。このポルシェ・カーブ手前のポイントも、見ごたえがあります。そこからコルベットコーナー、カーティングコーナー、メゾン・ブランシュ、フォード・シケインを経てようやく一周となります。

総括するとユノディエール、ミュルサンヌ、インディアナポリス、アルナージュ、ポルシェ・カーブ、フォード・シケインなどのカーブを注目してみると、より観戦が楽しくなるということです。是非テレビやネットで観戦する際は、チェックしてみてはいかがでしょうか。

トヨタは雪辱を果たせるか?注目の勝負は、いよいよ今週末

昨年のル・マンは、終盤で涙を呑んだトヨタ陣営。今年こそは、という意気込みが今シーズンのWECからは感じられます。それを裏付けるものとして、開幕戦のシルバーストーンと第2戦のスパ・フランコルシャンを連勝。6月4日に行われたル・マンのテストデーでも小林可夢偉が最速タイムを記録するなどして、トップ3を独占します。

「あの悔しさはすべて、伏線だ」というコピーを掲げて挑む、今年のトヨタ。去年の悔し涙を今年は嬉し涙に変えられるのか、それとも実力では決して引けを取らないポルシェが粘りの走りを見せるのか。すべての答えは、いよいよ今週末明らかになります。

【関連項目】

初優勝の夢に向けて!ル・マンを戦ったトヨタ車たち【前編】

【3か月連続連載企画】世界三大レース特集:マイスターを目指して。モナコGP

【日本人初】インディ500を制した男、佐藤琢磨ってどんなドライバー?

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