「君の名は。」とともに、今年7月29日の公開以来ロングヒットを続けている映画「シン・ゴジラ」。未知の巨大生物が首都圏を暴れ回り、建物を次々と破壊していく迫力のシーンに釘付けになった方も多いのではないでしょうか。そんなゴジラですが、海外では日産を代表するスーパーカーである「GT-R」のニックネームとして親しまれています。ここでは、そんなGT-Rの歴史について振り返っていきましょう。
プリンス色が濃かった、初代GT-R
GT-Rを語る上で、スカイラインの歴史に触れないわけにはいきません。元々スカイラインは、富士精密工業(のちのプリンス自動車)のクルマでした。そして初代GT-Rのベースとなった3代目スカイラインは、プリンス自動車との合併後初めて発売されたクルマです。
この初代モデルは「走る閃光!Rは勝利のサイン」というキャッチコピーで市場に登場、しかも「栄光のマシン『R380』のエンジンをそのまま搭載」という謳い文句でも話題をさらいました。しかし実際は、レーシングマシンであるR380のGR8という非常にシビアな特性のエンジンを市販車にそのまま搭載できるはずがなく、排気量や潤滑方式など変更は多岐に渡っており、今ではこれらはまったく別のマシンという見方も強いようです。
幻の「オーバー2,000cc GT-R」
レースの世界では華々しい活躍を遂げた初代GT-Rでしたが、次第にマツダ・ロータリー軍団との戦いが激しくなっていきます。ロータリーに苦しめられていく日産勢は、極秘裏にあるプロジェクトを進めていました。それが「L24エンジン換装計画」です。当時、参戦クラスは異なっていましたが、フェアレディ240Zが富士スピードウェイにて好タイムを連発。このエンジンを、GT-Rに搭載するシミュレーションを進めていくのです。
フェアレディ240Z
photo by 天然ガス(CC BY 3.0)
しかし解析の末、L24エンジンをGT-Rに搭載したとしてもタイムの向上は望めないという結論に達したことから、この計画はお蔵入りに。このことを知った旧プリンスの技術陣たちは「高性能なDOHCエンジンを搭載してこそGT-Rの存在意義がある」と考えていただけに、胸をなでおろしたというイ逸話も残っています。
実は意外な理由で誕生した?2代目GT-R
2代目はGT-R史上、もっとも悲劇的な運命をたどったモデルといってもいいでしょう。時代はオイルショック真っ只中。省資源・省エネルギーが叫ばれる中、嗜好品といってもいいスポーツカーたちは、次第にラインナップから消えていきます。レースの世界でもメーカー資本のチーム、いわゆるワークスチームは撤退して国内格式のレースも中止されてしまう事態に。そんな中、2代目GT-Rはたった195台しかオーナーの手に渡りませんでした(197台と書いた本などもありますが、これは試作車2台を含めた数字)。実際にレースに出場することがなかった、唯一のGT-Rとなっています。レースでの勝利こそがGT-Rの使命なのですが、実はこの代は余剰となっていたS20エンジンの在庫処分が目的だったともいわれています。
16年ぶりに復活!大変身した3代目GT-R
バブル景気華やかりし1989年、日産はR32スカイラインでGT-Rの名を16年ぶりに復活させます。
photo by 天然ガス(CC BY 3.0)
高出力のRB26DETTエンジン、高効率を誇る4WDシステム「アテーサE-TS」を搭載したこのクルマは、サーキットでもストリートでも大活躍。このエンジンはチューナーから「現代のL型エンジン」と呼ばれ、絶大な支持を得ることになります。一方の駆動システムは当初「4WDはラリーのシステム。サーキットには向かない」とレーシングドライバーたちが異口同音に唱えていましたが、蓋を開けてみれば全日本ツーリングカー選手権(JTC)で参戦開始以来無敗の記録を達成。大きな金字塔を打ち立てます。その他のカテゴリーでも健闘し、GT-Rは名声を欲しいままにしたのです。
マイナス21秒ロマン、4代目GT-R
3代目以降、GT-Rは「グリーン・ヘル」とも呼ばれる過酷なサーキットであるドイツ・ニュルブルクリンクにて精力的にテストを行っていきます。そうして登場した4代目GT-Rは、先代の記録したタイムを大幅に縮めたことが話題となりました。もっともこれは市販状態とは大きくかけ離れたテスト車両での計測タイムでしたが、GT-Rの名を広く一般に認知させるには十分な試みでした。先代に比べ大型化されたボディはノーマル派からは敬遠されましたが、最高速をステージとするチューナーからはロングホイールベースからくる高い安定性が受け、多くのチューニングカーがストリートを駆け抜けていきました。
photo by Tennen-Gas(CC BY 3.0)
また1995〜96年には、ル・マン24時間にも参戦しています。
ひとつの到達点に達した5代目GT-R
RB26DETT、アテーサE-TSと革新の技術を打ち出してきた、第二世代GT-Rの集大成となる5代目R34GT-Rが次に注目したのは「空力」でした。
photo by Tennen-Gas(CC BY 3.0)
空気を味方に付けるべく、Vスペックには国内有力レーシングチーム「チーム・ル・マン」と共同開発した、量産車初となるカーボンディフューザーを装備。さらに国内初の可変2段リアスポイラーも採用されました。また駆動系にはゲトラグ社が開発した6速MTが、ブレーキはブレンボ製のものが奢られて走行・制動性能も強化。まさに「究極のドライビングプレジャー」を実現したのです。生産期間は3年と短かったですが、今もなお人気の高いGT-Rの1台です。
スーパーカーの常識を覆した6代目GT-R
「私たちには、大切にしたい3つのワードがある。それは、G、T、Rだ」カルロス・ゴーン日産CEOのこの言葉とともに、長い沈黙を破って2007年に発表されたのが現行型である6代目GT-Rです。
「マルチパフォーマンススーパーカー」と自らが謳うこのクルマは、これまでのスポーツカーの常識を根底から覆すものでした。世界でも前例のないトランスアクスル方式AWDの採用、クリーンルームでのエンジンアッセンブル、自然界のあらゆる力を効率的に利用するなどがそれに当たります。ほぼ毎年のようにアップデートが行われ、最新の2017年モデルでは空力性能がさらに向上、内装にも大きく手が加えられるなど進化の手が緩むことはありません。
まさしく「神の化身」であるGT-R
その時代の中で最高のパフォーマンスを身にまとい、スポーツカーの頂点に君臨し続けるGT-R。中古車の人気がとても高く、原則として国内専売であった(R34、R35など一部例外あり)GT-Rの多くが海を渡っています。海外でもチューニングベースとしてもてはやされ、日本国内と同じような過激なチューニングメニューが人気です。映画「シン・ゴジラ」でゴジラは「神の化身」と呼ばれていましたが、オーナーたちにとってGT-Rの存在こそがまさしくそれに当たるのでしょう。
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