今シーズン、圧倒的な成績でセ・リーグ首位を収めた広島東洋カープ。残念ながら32年ぶりの日本一とはなりませんでしたが、ファンの心を熱くさせてくれました。
さて、このカープのチーム名に入っている「東洋」とは、クルマ好きならおなじみのマツダの旧社名である「東洋工業」が由来となっているのはご存知でしょうか? そんなわけで今回は、マツダの名車たちを一挙に紹介します。いずれも今年のカープの打線に劣らない「神ってる」クルマたちばかりです。
- 1. すべてはここから始まった。マツダ号DA型
- 2. 国民車を目指した、R360クーペ
- 3. 斬新な発想から生まれたキャロル
- 4. チューニングベースとして有名なシャンテ
- 5. スポーティさも兼ねそろえられたファミリア
- 6. マツダを代表するミドルセダン、カペラ
- 7. 華はないけれど、実直なルーチェ
- 8. 旧車イベントでの人気者、ポーターキャブ
- 9. 日本のバンを変えた偉大なる存在、ボンゴ
- 10. 「広島の奇跡」と呼ばれたコスモスポーツ
- 11. レース史上最大の下剋上を果たしたサバンナ
- 12. 道の王様を目指したロードペーサー
- 13. マツダが誇るピュアスポーツ、RX-7
- 14. 大胆なインテリアデザインが魅力だったペルソナ
- 15. スポーツカーづくりのお手本となったロードスター
- 16. 「カペラ後継」という重責を担ったクロノス
- 17. あのデザイナーも絶賛した、センティア
- 18. キビキビした走りが魅力だったランティス
- 19. マツダのフラッグシップミニバン、MPV
- 20. 日本でも味わえた、北米テイスト。プロシード
- 21. マツダの小さな救世主、デミオ
- 22. 激戦区に勝負を挑んだアクセラ
- 23. 走りを愛するユーザーを引き付け続けるアテンザ
- 24. よみがえったロータリーロケット、RX-8
- 25. マツダで一番「神ってる」クルマは、やはり787B!
- 26. いずれも時代を切り拓いていった名車たち!
すべてはここから始まった。マツダ号DA型
マツダ(旧社名:東洋工業)の歴史は、この3輪トラックから始まりました。「各種構成部品の国産化」や「クラス最高性能、最大積載量の実現」を目指したDA型は、その後の3輪トラックの基礎を築き上げました。なお「マツダ」という名称はこの型から既に付いており、ゾロアスター教の知恵の神「アフラ・マズダ」に由来するといわれています。
国民車を目指した、R360クーペ
戦後、通産省の提唱した「国民車構想」に注目し、東洋工業が発売したのがR360クーペです。ライバルであったスバル360を意識してか、アルミやマグネシウムという当時では高価な部品を使いながらも価格を抑えて売り出しました。軽自動車の後部座席は使用頻度が低いというリサーチ結果から生み出された2+2のスタイルは、市場では受け入れられず、後進のキャロルにその座を譲ることになります。
斬新な発想から生まれたキャロル
R360クーペの商業的な失敗を受け、東洋工業は本格的な4人乗り軽自動車を開発します。それがキャロルです。「クリフカット」と呼ばれる独創的なリアスタイルは、大人が後席に乗車することを想定して生まれたデザインで、日本車では珍しいものでした。上級車種に匹敵する高度なメカニズムが自慢でしたが、重量がかさんでしまったのがネックとなり、またもスバル360の後塵を拝してしまいます。なお現行型はスズキ・アルトのOEM車となり、マツダで最も古いブランドとなります。
チューニングベースとして有名なシャンテ
ライバルに太刀打ちできなかった東洋工業が、起死回生の思いで開発した軽自動車がシャンテです。その切り札は、好評を博していたロータリーエンジンの搭載でした。しかし運輸省や他メーカーからの圧力により、それは叶うことなく終わってしまいます。後年、ロータリーチューンの老舗であるRE雨宮自動車がチューニングカー「シャンテ・ロータリー」を製作。70~80年代に流行していた非合法な公道レースで数々の伝説を作り上げました。
スポーティさも兼ねそろえられたファミリア
マツダのファミリーカーの代表格が、ファミリアです。高度経済成長に合わせるように、クルマも高性能化が叫ばれていた時代、東洋工業はR360クーペやキャロルで培ったエンジン技術をファミリアに活かしました。このことからファミリアは、単なるファミリーカーではなく、スポーティさを兼ねそろえたクルマとして人気を博します。ロータリーエンジンの搭載や日本初のフルタイム4WDの装備など、先進技術が常に話題になったクルマでした。
マツダを代表するミドルセダン、カペラ
ファミリアの上位車種として企画されたクルマが、カペラです。その卓越したハンドリングから、特に欧州での評価が高いクルマでした。モータースポーツの世界でも活躍し、1970年代のマツダ・ロータリー軍団の一翼を担っていたことは有名です。セダンやクーペ、ワゴンやバンなど多彩なラインナップも特徴で、特に5代目は最も充実したものとなっていました。2002年に後継車のアテンザに譲る形で、モデル消滅となりました。
華はないけれど、実直なルーチェ
東洋工業時代より、マツダの最高級車として位置づけられていたのがルーチェです。5代29年にわたり生産された長寿モデルで、初代は当時ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロによる美しいデザインが印象的なモデルでした。トヨタ・クラウンや日産・セドリックなどがライバルとして挙げられますが、国内での人気は今ひとつで「広島ベンツ」というニックネームまで付けられる始末。確かに華はありませんでしたが、タクシーなどで活躍したことから実直な造りが魅力のクルマです。
旧車イベントでの人気者、ポーターキャブ
1968年、それまでの商用車B360の後継として誕生したのがポーターです。このポーターはスタイルがB360とほとんど変わりませんでしたが、1969年に追加されたポーターキャブは、新設計のキャブオーバースタイルでデビューしました。ポーターキャブは基本設計をほとんど変えることなく、1988年まで生産されています。その愛くるしいフロントフェイスから、旧車のイベントなどではいつも人気者です。
日本のバンを変えた偉大なる存在、ボンゴ
日本でのワンボックスカーの草分け的な存在が、ボンゴです。かつてはワンボックスカーを「ボンゴ型」と呼称していたほど、このクルマの与えたインパクトは大きなものでした。RVブームに乗ったこともあり、ボンゴはワゴンでも存在感を示します。OEM車が多いのも特徴で、ユーノスやフォード、果ては日産、三菱ブランドのクルマも存在しました。バンは小径のダブルタイヤが特徴的で、畳屋さんなどから絶大な支持を受けていました。
「広島の奇跡」と呼ばれたコスモスポーツ
量産車世界初の2ローターエンジンを搭載した、世界に誇る名車がコスモスポーツです。西ドイツ(当時)NSU社とライセンス契約した東洋工業は「悪魔の爪あと」と呼ばれるチャターマークや不快な振動など、NSU社が解決できなかったロータリーエンジン特有の問題を次々と克服。1年300万kmに及ぶ入念な走行テストを経て、1967年に発売されました。このエンジン開発のストーリーは「広島の奇跡」と呼ばれ、ロータリーエンジンはマツダのアイデンティティとなります。
レース史上最大の下剋上を果たしたサバンナ
コスモ、ファミリア、ルーチェ、カペラに次ぐロータリー搭載車として企画されたクルマが、サバンナです。ファミリアロータリークーペの実質的後継車といえるクルマで、レースの世界では日産・スカイラインGT-R軍団の50連勝阻止を果たしたマシンとしても有名です。市場では比較的安価なことからファンも多く、レース仕様を模した、いわゆる「街道レーサー」風のチューニングが流行していました。
道の王様を目指したロードペーサー
ルーチェよりもさらに上級な高級車市場に参入すべく、東洋工業が取った手法は「既に市販されている輸入車のコンポーネンツを使う」方法でした。こうしてホールデン・プレミアーをベースに生み出されたのが、ロードペーサーです。日本人好みの内装がおごられ、外観も専用デザインが与えられます。エンジンは、お家芸である13B型ロータリーエンジンが搭載されました。しかし車両価格とスペックのアンバランスさから、販売は低迷しました。
マツダが誇るピュアスポーツ、RX-7
サバンナクーペの後継車であり、マツダのスポーツカーのイメージリーダー的存在であったクルマがRX-7です。3代にわたって生産され、それぞれが型式名で呼ばれるほどクルマ好きに受け入れられたクルマでした。そのルックスから「プアマンズ・ポルシェ」ともいわれていますが、実際はポルシェに匹敵するほど優れたハンドリング性能を誇るピュアスポーツカーだったのです。現在も、高値で取り引きされることの多い人気車種となっています。
大胆なインテリアデザインが魅力だったペルソナ
1980年代後半の日本は好景気に湧き、個性的なクルマが次々と登場していました。ペルソナもその1台です。「インテリアイズム」というキャッチコピーで登場したこのクルマは、まさにインテリアが特徴的なものに仕上がっていました。そのデザインはグローブボックスをも排するという徹底ぶりで、リアシートも個性的なデザインのものがおごられていました。この流れは、後のアンフィニ店で発売されたMS-8にも継承されています。
スポーツカーづくりのお手本となったロードスター
「だれもが、しあわせになる」というコピーを引っ提げてロードスターが誕生したのは、1989年のことでした。絶滅していたオープン2シーターを見事に復活させ、多くのフォロワーを生み出したのはご存知の通りです。2015年には原点回帰した4代目が登場。間もなくリトラクタブルハードトップの「RF」が登場することもアナウンスされており、今後も目が離せません。日本が世界に誇れるクルマの1台といっても過言ではないでしょう。
「カペラ後継」という重責を担ったクロノス
カペラの後継として、1991年に登場したのがクロノスです。ゆとりのある3ナンバーボディが特徴で、当時マツダが推進していた多チャンネル化の基幹車種として据えられました。このため派生車種が大変多かったのですが、クロノスとすべての派生車種を合わせても販売台数が月1万台に届かず、マツダの目論見は大きく外れる形になってしまいます。多チャンネル化も成功したとはいえず、バブル崩壊とともにフェードアウトしていきました。
あのデザイナーも絶賛した、センティア
いち時代を築いたルーチェの後継車となったのが、センティアです。「パーソナルユースに徹した、3ナンバー専用のプレステージセダン」というコンセプトの元開発されたこのクルマは、当時のマツダが持つ最先端の技術を惜しみなく投入したものになりました。デザイン面での評価も高く、ルノーに所属していた鬼才・パトリック・ルケモン氏が絶賛したという話は有名です。なお同時期に販売されていた、アンフィニMS-9は兄弟車になります。
キビキビした走りが魅力だったランティス
1996年から施行される新しい衝突安全基準に、いち早く対応したモデルがランティスです。高いボディ剛性と欧州の道で鍛えられた軽快なフットワークは、多くのクルマ好きの心を虜にしました。1994年からは、新規定となった全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にも参戦。残念ながら前評判ほどの結果は残せませんでしたが、今もモータースポーツ好きの記憶に残るクルマです。
マツダのフラッグシップミニバン、MPV
日本における、ラージミニバンの嚆矢となったクルマがMPVです。当初は北米専用モデルとして開発されましたが、1990年より日本国内でも販売が開始されます。当初は販売が伸び悩んでいましたが、2代目がデビューしてからはマツダを代表するミニバンと位置付けられました。3代目は10年にわたって生産、販売され、ルーチェやセンティアなきあとのフラッグシップとして君臨しましたが、残念ながら今年で販売終了となりました。
日本でも味わえた、北米テイスト。プロシード
北米で高い人気を誇る、ピックアップトラック。マツダがその北米をターゲットに開発したクルマが、プロシードです。初代はロータリーエンジンが搭載されるモデルもありましたが、残念ながら日本には導入されていませんでした。日本市場では、3代目が特に有名です。折からのRVブームもあり、日本での認知度も高く、海水浴場やスキー場などで多くのプロシードを見ることができました。なお後継車は、プロシード・レバンテになります。
マツダの小さな救世主、デミオ
バブル期に行った投資が仇になり、1990年代後半のマツダは深刻な経営危機にありました。この状況を打破すべく市場に投入されたクルマが、デミオです。短期間・低コストで開発するのが最命題だったので、プラットフォームはオートザム・レヴューのものを採用。道具としての使いやすさを最優先に設計したため、市場では好意的に受け入れられ一躍大ヒット車種となりました。現行型は、2014年から販売されている4代目となります。
激戦区に勝負を挑んだアクセラ
フォルクスワーゲン・ゴルフを筆頭とする、欧州Cセグメント市場。そこに戦いを挑んでいるのが、アクセラです。その走りの性能は本場欧州でもお墨付きで、2004年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーでゴルフと並ぶ2位を獲得していることからもお分かり頂けるでしょう。現行型の3代目では、トヨタから技術供与を受けたハイブリッド車もラインナップ。日本市場では断然ディーゼル車が人気ですが、ハイブリッドの燃費、静粛性も見逃せません。
走りを愛するユーザーを引き付け続けるアテンザ
カペラの実質的な後継車となるのが、アテンザです。登場以来、走りにこだわり、クルマを愛するユーザーを引き付けて止まない存在となっています。3代目からはより堂々としたルックスとなり、マツダのフラッグシップカーにふさわしいものに変わりました。中身も高トルク、高効率なSKYACTIVテクノロジーを全面的に採用するなどエポックメイキングなものが多く、特に「G-ベクタリング コントロール」は注目すべき新技術です。
よみがえったロータリーロケット、RX-8
21世紀にふさわしいロータリーの形として、2003年にデビューしたのがRX-8です。開発当初からフォード側の意向が強く反映していたため、4ドアになった(北米での保険の関係から)といわれています。しかし走りに関しては全く妥協しておらず、マツダの技術者魂を見て取ることができます。水素とガソリンを使い分けて走る、バイフューエルタイプのロータリーエンジンも開発され、公道にて試験走行が行われていました。
マツダで一番「神ってる」クルマは、やはり787B!
市販車ではありませんが、マツダファンにとっては787Bこそが一番「神ってる」クルマといえるでしょう。1991年のル・マン24時間レース総合優勝車となります。ナイジェル・ストラウド氏がデザインしたカーボンモノコックボディには、4ローターR26Bエンジンを搭載。24時間をほぼノントラブルで走り切り、日本車初の栄誉を手にしたのです。また、初のカーボンブレーキを搭載して優勝したル・マン車両としても知られています。
いずれも時代を切り拓いていった名車たち!
戦後の焼け野原から、驚異的なスピードで復興していった広島。その希望の象徴といえるのが広島東洋カープであり、マツダであったことは想像に難くありません。「ZOOM-ZOOM」や「Be a driver」といったブランドスローガンも一般のユーザーに浸透し、さらに輝きを増して見えるマツダのクルマたち。2020年に創業100周年を迎える同社は、次の100年でも私たちをワクワクさせるクルマを生み出してくれることでしょう。そしてファンとしては、何といってもロータリーエンジンの今後の動向が気になります。コンセプトカー「RX-VISION」の市販バージョンを、是非次回の東京モーターショーで見せて欲しいものです。
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