自動車好きでれば、知らない人はいないであろうベンチャー企業テスラ・モーターズ。先日はロードスター、モデルSに続きSUVのモデルXを発売したことでも話題になりました。
特徴的なのが、後部座席の乗り降りの利便性を高めるために採用された「ファルコンウィングドア」という名前のガルウィングドア。ガルウィングドアと言えばスーパーカーなどでお馴染みですが、SUVに採用されるのは非常に珍しいことです。
今回紹介するのは、そんなテスラの筆頭株主であり、常に話題の中心に常に座している人物……そう、イーロン・マスクです。
ところで、彼についてどこまで知っているでしょうか?
例えば、出身国は南アフリカだったこと。最初に起業しようとしたのはゲームセンターだったこと。
今回は、初の公式伝記『イーロン・マスク 未来を創る男』から、イーロンマスクの過去とテスラ・モーターズでモデルSが発売されるまでの軌跡を紹介します。
▼参考書籍について▼
世界を救う男か、はたまたペテン師か
Photo By Heisenberg Media
以前、イーロン・マスクがF1のピッド最速の男をテスラ・モーターズに迎え入れたことをご紹介しました。
今回は、まず「イーロン・マスクがどのような幼少時代を過ごしてきたか」という点に注目。
生い立ちと14歳の決意
イーロン・マスクといういささか聞き慣れない名前の少年は、1971年6月28日にアフリカの大地で生まれました。
イーロン・マスクの名前が初めて世に出たのは1984年のことだった。南アフリカの商業誌『PC and Office Technology』がマスクの開発したビデオゲーム「Blastar」のソースコードを掲載したのだ。
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P29
Photo By Blastar for HTML5
「Blastar」を再現したゲームはこちらで遊べます。この時イーロン・マスクは若干12歳の少年でした。
プログラムとしては革命的な要素はなかったものの、これは当時の12歳の少年にしては非常に高い完成度でした。
やがて仲の良い仲間と一緒に起業し、ゲームセンターを開こうとまでしますが、残念ながら18歳未満は起業することができませんでした。
もしこの時イーロン・マスクが18歳を超えており、起業できていたとしたら、今のテスラ・モーターズはなかったのかもしれません。
のうのうと生きることを社会が許してくれなかった
彼が育ったのは南アフリカの裕福な白人家庭。黒人のメイドたちが何からなにまで面倒を見てくれる、何不自由ない暮らしをしていました。
ただ、当時の南アフリカはアパルトヘイトのまっただ中。白人と黒人の衝突だけでなく、部族間の衝突も耐えない時代でした。イーロン・マスクの家庭はそんな中、毎年海外旅行に出られるほど裕福でしたが、逆にその経験が「南アフリカに住む白人」というレッテルを感じていました。
そのころから自国に向けられた外部の目を意識するようになった。
南アフリカの子供たちは、この時期に自国が置かれた状況を知ることで、明らかな羞恥心を感じつつ、国の秩序事態に疑問を持つようになる。
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P32
そして、この頃から「人類の救済が必要だ」という壮大な夢を胸に秘めるようになったそうです。この壮大な想いが、テスラ・モーターズ、地球環境に優しい自動車を作ることの原動力になっています。
電気自動車の始まりは、一歩間違えば電気飛行機だったかも
Photo By Steve Jurvetson
すでに宇宙事業を行っているスペースX社を起業していたイーロン・マスク。そんな彼が電気自動車を作ろうと考えたのは、会社近くのシーフードレストランでした。
きっかけになった男の名前はJ・B・ストラウベル。彼は、イーロン・マスクに出会うまで電気飛行機を作りたい(そしてついでに電気自動車も作りたい)と思っていました。しかし、会食中にストラウベルが語った電気飛行機についての話題の反応は今ひとつ…。
Photo By Martin Pettitt
代わりに興味を持ったのはストラウベル自身はおまけ程度のつもりで考えていた電気自動車の話題でした。
以前から電気自動車の可能性については考えを巡らせていたイーロン・マスク。その場で1万ドルの出資をすることを約束しました。
巡りあう「電気自動車男」たち
同時期にリチウムイオン電池の電気自動車を考えていた起業家が北カリフォルニア州にいました。
マーティン・エバーハードとマーク・ターペニングです。彼らは2003年7月にテスラ・モーターズを起業。そこから投資家を探して方々を練り歩きました。
そして最後にたどり着いた投資家が、イーロン・マスクだったのです。
財務モデルに関する質問が山のように寄せられていた。
「答えても答えても、質問が止まらないんです。…中略…マスクが『OKだ、乗った』と快諾してくれました」
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P157
650万ドルを出資し、同時にテスラ・モーターズの会長にも就任したイーロン・マスク。これが後のエバーハードとの確執に繋がることは、誰も予想していなかったことでしょう。
破竹の勢いで成長するテスラ・モーターズ、と立ち込め始めた暗雲
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急成長をしていったテスラ・モーターズ。2003年に起業し、06年にはロードスターのベースとなった試作車「EP1」が完成しています。同時に社員数も100人を超え、大所帯となってきました。
この試作車のテスト走行を投資家にお披露目できたことで、JPモルガンや、Googleの共同創業者のラリー・ペイジ&セルゲイ・ブリンなどからも資金を調達することに成功。イーロン・マスクも追加出資を行い合計で4000万ドルを集めました。
エバーハードは2007年半ばにはロードスターの出荷を開始したいと語った。当初の計画である2006年初頭よりもかなり先送りしたことになる。
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P165
ですが、ロードスターが日の目を見るにはさらに長い時間が必要になったのでした。
1人目のCEOの解雇
@TeslaMotors a été fondé par Martin Eberhard et Marc Tarpenning en juillet 2003. pic.twitter.com/FuxZqoOeXK
— Business Algeria (@BusinessALG) 2015, 8月 4
イーロン・マスクは車両の快適性に非常にこだわっていました。その結果、仕様の変更はしょっちゅうで全体的な遅れが頻発していました。
現場で対処にあたっていたのはエバーハードでしたが、相次ぐ遅れや生産性の問題からイーロン・マスクの目にはエバーハードの経営手腕に原因があると考えるようになっていました。
「当時イーロンの命令は絶対で、どんな理不尽でも応じるしかなかったですね。だから会社全体がマーティンに同情的でした。
いつも現場にいたのは彼ですから。現場はとにかく一刻も早く出荷したかったんです。」
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P168
テスラ・モーターズの経営状況を詳しく調査し始めたイーロン・マスク。結果は当初想定されていたよりも大幅に大きなコストがかかっている、というものでした。
これまでも、車両の設計について衝突が続いていた2名でしたが、このコストについての問題は決定的でした。最終的にはエバーハードがテスラ・モーターズを去ることになりました。
エバーハードが去った後もイーロン・マスクとの間の確執は残り、今でもさまざまな形で続いています。しかし、エバーハードの所有している車両はテスラのロードスター。決してテスラ・モーターズが嫌いになったという訳ではないようです。
2人目のCEOの解雇
Photo By Steve Jurvetson
2007年が終わってもテスラには依然として多くの問題が残っていました。
マシンの塗装の問題
カーボン製のボディは塗装が難しく、綺麗に色を出せる職人がなかなか見つかりませんでした。
(塗装の難しさについてはこちらの記事をご覧ください)
トランスミッションの問題
当初目指していた加速度を実現するために使えるトランスミッションがなかなか手に入らず苦戦していました。
バッテリー製造の問題
一流の設備があると聞いて行ってみた工場は、掘っ立て小屋も同然。一から自分たちでつくり上げる必要がありました。
こうした問題に早急に対処するために、複雑な生産業務や輸送関連に明るいマイケル・マークスが暫定的にCEOに就任しました。
「組織にしがらみがないので『みんながどう思おうと気にしません。やるべきことをやるまでです』と言わんばかりに大ナタを振るっていきました。」
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P177
問題だらけだったテスラ・モーターズで、申し分のない働きをしたマイケル。しかし、一つ大きな問題がありました。マイケルはテスラ・モーターズをどこかの大手自動車メーカーに売却することを目指していた、ということです。
一方の、イーロン・マスクは売却に興味はありませんでした。なぜなら求めていたのは、自動車業界に風穴を開けるためにじっくりと取り組む組織だったからです。
そして、この差は埋まりようのないくらいに決定的でした。最後には、根本的な方向性の違いから新CEO(3人目)を任命することになりました。
また、この時期からイーロン・マスク自身がメディアに登場する機会が増加します。自身やテスラ・モーターズにまつわるさまざまな情報をコントロールするためでした。
テスラ・モデルSの誕生
Photo By Steve Jurvetson
2012年。ついにテスラ・モーターズからモデルSが発売されます。エバーハードが2007年半ばと言ってからほぼ5年。イーロン・マスクが2008年と言ってから4年オーバーしたお披露目です。
それまでの間に、リーマン・ショックによる資金繰りの危機や、自身の離婚と再婚などの出来事を乗り越え、ついに陽の目を見ました。
外からドライバーが近づくと、ドアハンドルが光りながら外側にせり出し、ドライバーが車内に入ると、再びドアハンドルがボディーに収まる仕組みだ。
『イーロン・マスク 未来を創る男』-P224
Photo By Maurizio Pesce
モデルSが画期的だったのはそれだけではありませんでした。従来の自動車であれば不具合が発生した場合、エンジニアが修理しに来たり工場に行く必要がありました。しかし、モデルSにはもう一つ、インターネット回線を通じてソフトウェアの更新をすることで不具合を修正することができたのです。
つまり、貴重な週末に修理に出る必要はなく、寝ていれば勝手に不具合が修正されるのです。
発売された年の11月、テスラ・モーターズのモデルSは自動車専門誌『モータートレンド』の「年間優秀自動車」に満場一致で選ばれました。注目すべきは「最優秀EV」ではなく「最優秀自動車」であったというところです。
まとめ
今や電気自動車に、宇宙産業にとそれぞれの業界で最重要プレイヤーの一人と目されているイーロン・マスク。ですが、そこに至るまでの道のりは遠く、決して安定した者ではありませんでした。
今回紹介した『イーロン・マスク 未来を創る男』では、テスラ・モーターズだけでなく、イーロンマスクの幼少期の話からスペースXでの話などが登場します。
先日の報道では、テスラ・モーターズの最新SUV車両のモデルXには対生物兵器モードが搭載されているという話。これからも、どんなアイディアが登場するのか目が離せないイーロン・マスクをより深く知るために、ぜひ読んでみてください!
Elon on filter in X: “It gives you hospital level air quality” then shows bio weapon defense air mode button no joke pic.twitter.com/Ak5hx9ythm
— Greg Kumparak (@Grg) 2015, 9月 30
参考書籍
今回の記事ではこちらの書籍を参考・引用させていただきました。
『イーロン・マスク 未来を創る男』
アシュリー・バンス 著
齋藤 栄一郎 訳
講談社