2016年6月28日に行われた定時株主総会により、「株式会社SUBARU」への社名変更が承認された富士重工業。
富士重工業は1917年、中島知久平氏によって創設された「飛行機研究所」をルーツとし、陸軍航空部隊の主力戦闘機「隼」や「疾風」などを手がけていました。
また機体のみならず、航空機エンジンメーカーとしても大手で、零式艦上戦闘機(いわゆる「ゼロ戦」)に搭載された「榮」や、紫電改に搭載された「誉」などを送り出しています。
そして太平洋戦争末期には、国産初のジェット特殊攻撃機「橘花」を製作。実戦には投入されませんでしたが、高い技術力を証明しました。
ここでは、そんな飛行機作りの知見から生まれた富士重工の名車たちを取り上げていきます。いずれも、ファンの心を熱くさせるクルマが揃っています。
- 1. 初の作品はスクーター「ラビット」
- 2. 幻に終わった実用車「P-1」
- 3. 自動車をみんなのものに「360」
- 4. 現代の軽自動車の基礎を作った「レックス」
- 5. 質感をさらに高めた軽「ヴィヴィオ」
- 6. 21世紀に蘇ったてんとう虫「R1」
- 7. スバル一番の働き者、頼れる「サンバー」
- 8. 驚きのプチミニバン「ドミンゴ」
- 9. 初の市販本格乗用車「1000」
- 10. 北の大地が磨いた高性能「レオーネ」
- 11. スバル初のコンパクトカー「ジャスティ」
- 12. タフなハートを持った新世代スバル「レガシィ」
- 13. 世界へと羽ばたいた蒼き星「インプレッサ」
- 14. スバル初の本格GTカー「アルシオーネ」
- 15. 新世紀スバルRWDスポーツ「BRZ」
初の作品はスクーター「ラビット」
photo by Eric (CC BY 2.0)
太平洋戦争後、GHQの行った財閥解体で中島飛行機は航空機の研究開発を禁じられ、社名を富士産業と改称します。富士産業の技術者たちは進駐軍のスクーター「パウエル」に着目、誰もが簡単に扱えるスクーターの設計に取りかかります。
こうして出来上がったのが、ラビットです。試作機には爆撃機「銀河」の尾輪が用いられていました。このラビットは大ヒット作となり、バリエーションを増やしながら1968年まで生産されました。
幻に終わった実用車「P-1」
戦後バスボディなどを手がけていた富士自動車工業は、そのバスボディ製造で得たモノコックボディのノウハウを元に自動車業界への進出を試みます。そこで開発されたクルマがP-1です。
乗り心地と操縦安定性を重視したサスペンション構造は、これまでの国産車にはない画期的なものでした。1955年には最初の試作車が完成。
その後20台ほどの試作車が造られましたが、結局一般消費者向けに市販されることはなく、6台が群馬県内のタクシー業者に委託されテスト走行を行ったという記録が残っています。
自動車をみんなのものに「360」
photo by Mytho88(CC BY-SA 3.0)
P-1は自動車としては成功作でしたが、当時の富士重工の台所事情を考えると量産は不可能でした。そこで当時の通産省が提唱した「国民車構想」に着目。設備投資の関係上、富士重工は軽自動車メーカーとして自動車分野進出への足がかりを作ろうと試みます。
こうして完成したクルマが360です。ボディを薄く、軽くするために丸い車体にしたのは、飛行機造りのノウハウがあったからこそのもの。FRPや目新しかったトーションバースプリングも積極的に採用され、廉価で販売されたことから大ヒット車種となりました。
現代の軽自動車の基礎を作った「レックス」
360で軽自動車を広めたスバルは、その後後継車であるR-2を発売。発売当初は販売も順調でしたが、ライバルの攻勢もあり、次第に商品力が弱まっていきます。
こうした中企画されたのが、レックスです。初代はR-2と同じくRR方式を採用していましたが、2代目からはFFへとレイアウトを変更。現代に続く軽自動車の駆動レイアウトを確立しました。
また現代に続くメカニズムとしては、軽自動車初採用となったCVT(富士重工はECVTと呼称)なども挙げられます。
質感をさらに高めた軽「ヴィヴィオ」
photo by Mytho88(CC BY-SA 3.0)
レックスの後継車として企画されたクルマがヴィヴィオです。車名の由来は排気量から来ているといわれています(660をローマ数字に直すと「ⅥⅥ0」となることから)。
これまでの軽自動車と違い、内装や塗装の質感が非常に高いことが特徴でした。また、モータースポーツにも積極的に参戦。ラリーの世界選手権WRCのイベントのひとつであるサファリラリーにも出場するなど、小さいながらもタフな性能が売りでした。
バンからスポーツタイプ、タルガトップタイプまで幅広いバリエーションを揃えていたのもこのクルマの特色です。
21世紀に蘇ったてんとう虫「R1」
スバル360はそのキュートなルックスから「てんとう虫」と呼ばれ親しまれてきました。このコンセプトを現代流に解釈し、誕生したのがR1です。乗車定員は4名ですが、あくまで2+2という考えで、主に前席の居住性を重視して造られています。
軽自動車としては珍しい、パーソナルユース型のクーペに近いクルマでした。レザーやアルカンターラといった素材をふんだんに使用し、軽自動車とは思えない凝った造りが魅力のクルマでした。
スバル一番の働き者、頼れる「サンバー」
photo by Tennen-Gas (CC BY-SA 3.0)
初代登場以来6代目までRR方式を頑なに貫いたスバルの軽商用車が、サンバーです。
そのエンジンレイアウトと4輪独立懸架サスペンションという構成から「農道のポルシェ」といわれることもありますが、その実態は働く人のことを考えぬいた非常に真面目な設計のクルマです。
「積み荷の板ガラスが割れない」「豆腐の角が崩れない」といった口コミもあり、サンバーは爆発的に普及しました。RR方式のサンバーは2012年に惜しまれつつも生産が終了。
前年にはWRブルーマイカのカラーをまとった限定車が発売され、話題を呼びました。
驚きのプチミニバン「ドミンゴ」
photo by Tennen-Gas (CC BY-SA 3.0)
ドミンゴは、リッターカー唯一のワンボックス多人数乗り乗用車として開発されました。
ベースはサンバートライでありながら、収容能力や機動性の高さなど多くのメリットを持っていたため、民宿やペンションの送迎用車としても高い人気を誇っていました。
2代目からは待望のAT(ECVT)車を設定、初代ほどの人気は得られませんでしたが、一定のユーザーには受け入れられたクルマでした。
初の市販本格乗用車「1000」
360の発売で弾みをつけた富士重工業は、本格的な小型乗用車の開発に着手します。これがスバル・1000。
来るべき高速化時代に対応する直進安定性やゆとりある室内空間をコンセプトとし、FFの駆動方式や水平対向エンジンなど現在のスバル車に通じるメカニズムを最初に搭載したクルマです。
等速ジョイントを用いたFF方式は当時としては画期的で、アルファロメオ・アルファスッドやシトロエン・GSなどのフォロワーを生み出しました。
北の大地が磨いた高性能「レオーネ」
スバル・1000やff-1の流れを汲むクルマとして発売されたのが、レオーネです。
量産乗用車としては初となる4WD車が設定されたのが特徴で、これは当時の東北電力の依頼により、販売店であった宮城スバルが試作したものがベースとなっています。
レオーネはレガシィやインプレッサが登場するまでスバルの基幹車種として販売され、3代目バンはいすゞ自動車にOEM供給され「ジェミネットⅡ」として販売されていました。
スバル初のコンパクトカー「ジャスティ」
photo by Niels de Wit (CC BY 2.0)
レックスをベースとしたスバルのコンパクトカーが「ジャスティ」。トヨタ・スターレットなどの対抗馬として開発されました。当初は1リッターモデルのみの展開でしたが、1985年には1.2リッターエンジンを追加、ラインナップの充実を図ります。
1987年には世界初の無段変速機「ECVT」搭載車を発売。価格が高かったことなどから販売は振るいませんでしたが、このクルマの存在がなければ現在のCVTはなかったかもしれません。
タフなハートを持った新世代スバル「レガシィ」
1980年代末、富士重工は深刻な経営不振に陥っていました。そうした状況を打破すべく、社運を賭けて開発されたクルマがレガシィです。
レガシィは発売前に、アメリカにて10万km世界速度記録へのチャレンジを行います。19日間連続で走り抜けたレガシィは、2つの世界記録と13の国際記録を樹立。その強さと走りの性能の高さを世界中に証明したのです。
日本ではワゴンブームを築き上げ、モータースポーツの世界ではスバル初のWRC優勝車としてその名を刻んでいます。
世界へと羽ばたいた蒼き星「インプレッサ」
レガシィが作り上げたスバルの走りを高い次元で昇華させたクルマが、インプレッサです。レガシィよりもコンパクトなボディに、高性能な水平対向エンジンを搭載。
このパッケージングはラリーの世界で有利に働き、WRCにデビューするやいなや快進撃を見せます。結果、1995〜96年のWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得。
規定が変わった97年にも同タイトルを獲得するなど、ベース車の素性の良さを証明する形となりました。
スバル初の本格GTカー「アルシオーネ」
北米市場で活況を見せていた、廉価でスタイリッシュなクーペ市場に参入すべく開発されたクルマがアルシオーネです。
メインマーケットであった北米では発売直後は好調な売れ行きを示しましたが、その後商品力が低下。テコ入れのため6気筒エンジンを搭載するなどしますが、歯止めはかかりませんでした。
1991年には、後継車であるSVXが登場。初代の反省から、高品質なGTカーとして再出発を果たします。
新世紀スバルRWDスポーツ「BRZ」
photo by Tennen-Gas (CC BY-SA 3.0)
SVX以来となるスバルの2ドアクーペが、BRZです。トヨタ・86とは兄弟車の関係で、車両の製造も86と同じラインで行われています。
開発・設計は富士重工主体で行われ、レガシィをベースとしたFR車を試作するなどして開発が進められていきました。スバルの水平対向エンジンによる低重心と、トヨタの直噴技術「D-4S」が組み合わされたこのクルマは、新しいスポーツカーの時代の始まりを告げるにふさわしいものだったのです。
実用車からスポーツカーまで、幅広く生産してきた富士重工。その歴史は決して平坦なものばかりではありませんでしたが、今では多くのユーザーに愛され「スバリスト」という言葉も存在しています。社名が変わっても、安心と楽しさをより多くの人に届けていってほしいと思います。
スバル水平対向エンジン誕生50周年を迎えるこの秋には、新しいプラットフォームで造られる新型インプレッサの発売も控えており、ますますスバルから目が離せませんね。
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